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説教(6月22日)
■説教者:堀 正一 教区長
■御言訓読:天聖経(第9編 第3章 第4節 13)
13悲しみにぶつかったあとには、必ず代価があります。地上で蕩減する過程の中で、本当に善の立場で悲しい涙を流せば、必ず善の喜びが来るのです。ですから、悲しみを十ほど受ければ、喜びが千ほど訪れるというのです。
そのような生活を感じるので、信仰生活を続けるのです。十ほどの悲しみを越えても、一ほどの喜びしか訪れないとすれば、そのような喜びは何日かすれば下がっていくようになっています。
本当に天に従っていく道は、真の悲しみを受ければ真の喜びが、「私」が想像できないほどの喜びがやって来るのです。私が受けられず、私が感じられなければ、自分の妻や自分の子女、自分の先祖にそのような喜びが訪れるというのです。ですから、すべての出来事を軽率に扱うことができないのです。
いつでも神様に侍り、相談する姿勢で生活しなければなりません。心が重苦しければ、座って祈りなさいというのです。寝るのが問題ではなく、働くのが問題ではありません。祈りが生活化されなければなりません。
説教(6月15日)
■説教者:堀 正一 教区長
■御言訓読:天聖経(第9編 第2章 第1節 1.2.10.36)
3統一教会は、何をする所なのでしょうか。縦的には神様に侍り、横的には真の父母に侍って、完全に共鳴した場で、真の愛を受け継ごう、相続しようというのです。この真の愛の属性には、愛に同参(一緒に参加すること)できる同参権と相続権があります。その次には、同じ立場に立てる同位権があります。また、愛を受けるならば、どこでも一緒に行くことができるのです。どこに行っても同参する権限があるのです。
このように、真の愛の属性の中には三大属性があるのです。愛の関係を結ぶようになれば、同位権、同参権、相続権をもちます。すぐに同じ立場に立つのです。
22神様の愛は、どのような愛なのでしょうか。与えてから満足するのではなく、与えてももっと与えたくで、恥ずかしさを感じる心をもっている愛です。与えてから恥ずかしい心を感じる人であるほど、真の愛の主人なのです。父母は、子女に服を着せても、もっと良い服を着せてあげることができないことを、すまないと思います。与えながらも、満足を感じるのではなく、不足さを感じるので、愛を通して、それを補充してあげるのです。
46平等という言葉は、愛を取ってしまえば、取るに足らないものです。愛を中心として平等なのです。愛を中心としない平等はありません。それでは、幸福とは何でしょうか。幸福は、愛の端にある二つの実です。幸福は、愛の後ろ側だ、愛の前側だ、愛の頂上だ、愛の足場だという言葉は、すべて正しい言葉です。愛は一つであり、丸いので、すべて正しいというのです。愛なくして幸福がありますか。女性がどれほど美人でも、等しい愛の内容をもった男性がいてこそ、調和があるのです。
説教(6月8日)
■説教者:堀 正一 教区長
■御言訓読:天聖経(第4編 第3章 第2・3節 20.8)
20父母の愛を通して完全に復活した自分が、手の先から足の先まで生きていることを感じながら、感謝できる立場に立ってこそ、天に帰ることができるのです。しかし、足の先にありとあらゆることがすべて縛られているので、皆さんはこのような現実を踏み越えていかなければなりません。
8与えてくれる父母に対しては、「私」も返さなければならないので、孝行せざるを得ないのです。生命は、皆さん自身を中心として出発したのではなく、宇宙の根本から生じました。その宇宙全体がために生きる場にあるのですが、それを否定する存在は、なくならなければなりません。根源がないので、消えなければならないのです。
人間は、ために生きるために生まれたというのです。ために生きるときは、愛の相対のために生きなさいというのです。父母のために生きるときは、その父母の愛を「私」が受けて、育ててあげなければならないので、年老いた父母ほど、ために生きなければなりません。そのようにすれば、自分の家庭が大きくなるのです。
国を受け継ごうとするのであれば、夫婦同士で愛するよりもっと大きく、国のために生きる家庭にならなければなりません。そうしてこそ、その国が抱くことのできる家庭になるのです。家庭よりさらに大きな国、国よりさらに大きな世界のために生きなければなりません。その次には、より大きな世界である天地、天地よりさらに大きな神様のために生きなければなりません。
説教(6月1日)
■説教者:堀 正一 教区長
■御言訓読:天聖経(第8編 第3章 第3節 5.14)
5修練を受けながら、み言を中心として、昔、自分がみ旨の道を出発した時に、み旨を慕わしく思い、先生に従った切実な心を回復させなければなりません。そうでなければ、天国の門を開くことはできません。
切ない心情で、会えなければ生きていけず、ために生きなければ生きていけない、という気持ちにならなければなりません。食口たちに会いたいと思わなければならず、食口たちがいる所に行って暮らしたいと思わなければなりません。このような心を再びもたなければ、天の国に行くことができる鍵を失うようになるのです。
14父と母の血統を受け継いで生まれた人を、一人も残さずに祝福の場に導かなければなりません。腹中において重生式を行い、幼稚園からは復活式を行い、その次には、永生式である祝福をしなければなりません。そして、血統の根絶を目標として前進する私たちの責任は、神様の代身であり、真の父母の代身であり、イエス様の代身の道を行くことです。