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説教(9月28日)
■説教者:堀 正一 教区長
■御言訓読:天聖経(第3編 第1章 第1節 9)
9神様が私たちに愛を与えてくだきるとき、どれくらい与えたいと思われるのでしょうか。「これくらいならいいだろう」という限界を引く愛ではありません。無限に与えようとする愛です。神様は、すべて与えても、「あなたと共に、あなたの中で生きたい」とおっしゃいます。そのようにさせる本質が愛です。神様も、愛の中に入って僕になってもいいというのです。
父親は、愛する息子、娘が自分の食卓の上に上がっても、それを眺めて喜びを感じるのです。愛は法を超越します。神様が今まで愛を下さったといって、人間に、「私は完全にすべてを与えたのに、お前はなぜ与えないのか」と言うことができますか。絶対的な愛をもった神様は、いまだに与えたい愛をすべて与えることができないで、もどかしく思っていらっしゃるのです。
自分を主張できない神様です。完全な愛を与えようとしたのが人間に対する創造の原則なのですが、神様は、今まで完全な愛を与えることができなかったので、もっと良いものを与えたいと思われるのです。そのような神様なので、神様のことを思えば思うほどうれしくなるのです。
説教(9月21日)
■説教者:堀 正一 教区長
■御言訓読:天聖経(第2編 第2章 第5節 13)
13皆さんが神様の愛をもつためには、神様の生命を根本にしなければなりません。そのようにしなければ、神様の愛が受けられません。神様の生命をもつようになれば恩恵があります。神様の生命を土台にする人にならなければ、神様の愛を受けることができません。皆さんは、その恩恵を受けなければならないのです。恩恵の表示は、幻想や夢のようなものによって現れます。皆さんは、実体の神様の立場にある真の父母が慕わしくて、泣かなければなりません。
しきりに会いたいと思わなければなりません。御飯を一膳炊いておき、水を一杯くんでおいて侍りたいと思わなければなりません。そのような、切実な心をもたなければなりません。涙が先立つ心情をもっていればよいのです。そうすれば、先生を中心として、皆さんの心情一致がなされ、先生と共に呼吸することによって、先生の人格基準と、その背景となる先生の過去と、過去に絡まった事情がどうなっているのかを知るようになり、さらにはそれを相続し、引き継ぐことができます。
説教(8月31日)
■説教者:堀 正一 教区長
■御言訓読:天聖経(第1編「神様」 第2章 第1節 8)
8生活感情で、私たちが、神様の感情と共感した感情を、いかに感じるかということが問題です。一人でいれば、思わず「お父様!」と呼び求めることができなければなりません。そうすると、神様から「どうした!」と答えが帰ってくる感覚を受けるようになります。一体になれば、そうなります。
誰もいないようですが、誰かが私を主管し、指導しているというのです。そのような生活園内に入った人ならば、神様がいる、いないということが問題にならず、困難にぶつかれば、必ず「私」を擁護してくれ、導いてくれることが分かる立場なので、神様を裏切っていくことはできません。