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説教(10月28日)
■題目:我々の行くべき道
■説教者:大嶋秀幸 部長
■御言訓読:天聖経(人間の生と霊魂の世界より)
真の父母様と霊界
先生がこの世にいるので、皆さんは先生を見つめていきますが、先生が霊界に行ったあとはどうしますか。今後、後代の統一教会は、どこへ行くでしょう。後代の統一教会は、先生の過ぎし日の歴史をそのままついてこようとするでしょう。
ヤコブが行った道をイスラエルの一族が行かなければならないし、モーセが行った道をイスラエルの国が行かなければなりません。
イエス様が行った道をキリスト教が行かなければならなかったように、今日、統一教会において、文先生が行った道を統一教会の食口たちが行かなければなりません。行かなければならないというのです。行かなければ渡り鳥と同じように、大洋を渡って南極と北極を通じさせることができないのです。飛んで行かなければなりません。(142-170, 1986.3.9)
説教(10月21日)
■題目:私の天一国に向かって前進しなさい!
■説教者:和田康伸 教区長
■御言訓読:天聖経P2436(天一国主人の生活より)
皆さんは、国と義の為に生きる人にならなければなりません。いかなる難しい環境に直面したとしても、自分自身に対する父の願いがある事を思いながら、その環境と闘って勝利する人にならなければなりません。そのような皆さんになって初めて「神様の真の息子、娘だ」と言う事ができるのです。
それでは、神様の国を建設する事ができる人とはどのような人でしょうか。自分自身を否定し、切ない心で神様の為に生きる人です。自らを否定し、社会と民族、国家、世界の為に生きる人が、まさしく神様の国を建設する事ができる人だというのです。
さらには、国家と世界を否定しても神様の為に生きる人が、天国を建設する事ができる人だというのです。また何かの悲しい環境に直面しても、自分自身の為に悲しむのではなく、社会と国家、世界、ひいては神様の為に悲しむ人であってこそ、神様の国を建設する事ができるのです。
今日、皆さんは、皆さん個人の何かの欲望を満たす為に努力するのではなく、より大きな目的の為に犠牲となり、奉仕する信仰生活をしなければなりません。そのようにして、ただ神様のみ旨と人類だけの為に苦労されたイエス様の心情的基準迄行かなければならず、今迄苦労してこられた神様の切ない心情を慰労してさしあげる神様の真の子女の立場迄行かなければなりません。
説教(10月7日)
■題目:天の前に恥ずかしい私であることを忘れてはいけません
■説教者:和田康伸 教区長
■御言訓読
信仰は恥ずかしさの涙と、感謝の涙と、喜びの涙のこの三種の涙を流さなければならない。
(「み旨の道」より)
だから、「祈りをするときも、『天の父よ・・・・・・』、祈りを始め、その後はものを言うことができす、そのまま夜を明かしてしまうことがいくらでもある。気がふさがることが余りにも多いので、天の父に対して面目がなく、祈りができないからである。天の父に対して申し訳がないからである。」
(「マルスム」より)
一人の男がこんなにも弱くなり得るものか、と思ったこともありました。ある意味では同じ弱き一人の人間に変わりないのです。しかし自分をそんなにも頼りにしている神であることを知っていますから、そういう神の心情を思うと、いても立ってもいられなくなり神の願いを果たして神を慰めたいという思いにかられます。
「神よ、全能なるあなたは、その望むところの何事も成すことがおできになりますのに、御自分の子なるアダムとエバの罪のゆえに、御自身をそのような苦悩の中に陥れられました。苦しむべきいわれもないあなたが、かくも寄る辺なき身となられて、真に頼ることのできる子女を、そんなにも長い間ひたすら待ち続け、探し求めてこられました。私にはそういうあなたのお心がよく分かります」。
誰でも、先生の内面の世界をかいま見ることでもできたならば、ただ“わっ”と痛哭せずにおれないでしょう。特に、常に神に祈り、霊界を見たり啓示を受けたりしている霊通者たちは、みなこういうことを言ってきます。「文先生について祈る時は、いつも決まって神様からの答えは“涙”です」と。先生のことを祈ると神様は泣かれるというのです。寂しい一人の人、文先生を見つめる時、人知れずすすり泣いておられる神様なのです。
(「み旨と世界」創立以前の内的教会史 より)