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平和を愛する世界人として―文鮮明自叙伝
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説教(11月24日)

■題目:我々と共におられる天地人真の父母様

■説教者:堀 正一 教区長

■御言訓読:天聖経(第8編 第1章 第1節 25-26 P817-818)

26皆さんの善し悪しが問題ではなく、皆さん自身が神様のみ前に順応できる絶対的な信仰をもっていけるのか、ということが問題です。

実績をもてずにいれば、希望だけでももちなさいというのです。希望をもつためには、絶対信仰をもつことはもちろん、実践的過程を築いていかなければなりません。

先生は、この地上の男性を代表し、誰よりも厳しい闘争の歴史を経ていかなければなりません。先生は、霊界と肉界から公認される権限をもって現れましたが、皆さんはそうではありません。実績がなければ、信仰で越えればいいのです。

その信仰は、どんな信仰でなければならないのでしょうか。自分が好む信仰ではいけません。そのような信仰では、志を成就したとしても自分だけが喜ぶ志なので、神様が喜びません。

自分の思いどおりにしたことは、やればやるほど神様からも、先生からも遠ざかるのです。「自分が好きだからやるのであって、嫌ならしない」と言ってはいけません。神様がお喜びにならなければなりません。問題はここにあります。先生自身もそうです。ですから、自分が実践的な生活ができなくても、絶対に信じなさいというのです。信じればよいのです。

25永遠に自分が自分を信じ、自分が自分自身を望みとして、自分が自分自身を愛しながら、「神様、私の愛をお受けください。神様、私の希望を御覧になってお喜びください。神様、私の信仰を御覧になってお喜びください」という時、神様が「分かった!」と言うことができなければなりません。

信仰を立てた目的がそれであり、希望を探す目的がそれであり、愛を慕わしく思う目的がそれなので、そのようになれば、そこで主に相まみえるようになります。そうして、その主と共に暮らすのです。

カテゴリー:今週の説教 - 13/11/28掲載

説教(11月17日)

■題目:中心と一つになろう

■説教者:入澤淳一 教育部長

■御言訓読:天聖経(第3編 第2章 第3節 44-45 P325)

愛の法は学んで知るものではない

44父母が子女を愛するのに、誰かに教えてもらって愛しますか。皆さんは、赤ちゃんを生んで愛する時、その愛する方法を習いましたか。どこに愛を教える学校がありますか。何もありませんが、誰でもその基準は満点です。

不足だと感じれば感じるほど、さらに完全だというのです。完全なものは、手を出す必要もなく、習う必要もありません、加減が必要ないものが完全なものなので、完全なものは変わらないものであり、変わらないものは永遠に続くというのです。

45「愛」と言っても、これは漠然とした言葉です。愛というものは、言葉では理解しきれません。父母の愛をどれほど説明したとしても、父母がいない人には理解できない境地です。

夫婦の愛をどれほど説明したとしても、独身の人は理解することができません。父母の愛がいくら大きいと言っても、子女を生んで育てることができず、そのような体験をもてない人には、到達できない境地です。

カテゴリー:今週の説教 - 13/11/20掲載

説教(11月10日)

■題目:一つになる

■説教者:堀 正一 教区長

■御言訓読:天聖経(第2編 第1章 第1節 13-14 P146)

歴史と時代と未来の核心

13皆さんが祈るとき、「六千年歴史の結実である私たち」と祈りますが、どうして六千年の結実なのでしょうか。父母の前の一人の子女にすぎないではないですか。しかし、真の父母と通じることができる子女の位置にいるので、歴史的な実であり、歴史的な結実であり、未来の出発の起源なのです。

したがって、皆さんの願いは、未来にあるのではなく、真の父母にあります。皆さんが、その真の父母と完全に一つになれば、世界も一つになるのです。

14皆さんが真の父母と完全に一つになるとき、国家もあり、氏族もあり、民族もあり、家庭もあるのです。天地のすべての栄光の価値を総合した実体基準が、真の父母です。真の父母を世の中のお金と取り替えることができますか。

自分の生命と取り替えることができますか。ですから、昔とは違うのです。皆さんがどこに行こうと、真の父母に侍らなければなりません。皆さんの息子、娘も、千代、万代の子孫たちも、そのようにしなければなりません。

カテゴリー:今週の説教 - 13/11/13掲載

説教(11月3日)

■題目:名節と今日の私たち

■説教者:堀 正一 教区長

■御言訓読:天聖経(第1編 第4章 第1節 62 P117-118)

天運を動かす摂理の主役

62私たちは今、希望成就の過程にとどまっています。ある目的を見つめてその希望を成し遂げていく過程にあります。この過程において動いているとすれば、皆さんは立てた信仰の約束を終結することができなければなりません。

そのような限界を越えた一個体は、最後の一時に主の血と肉を受けたことに報いる存在です。

このような意味で、「私」はいかにすべきなのでしょうか。イエス様の前後、左右、上下、また聖霊の前後、左右、上下、神様の前後、左右、上下を身代わりすることができなければなりません。

天上のみ旨であると同時に地上のみ旨である、人間を通して決着をつける限界の日を地上に立てることができなければ、イエス様のみ旨も成し遂げることができず、神様のみ旨も成し遂げることができません。

そのようなみ旨を考えれば、今日、取るに足らない私たちの価値はあまりにも大きいというのです。

カテゴリー:今週の説教 - 13/11/07掲載
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