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今週の説教

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説教(7月24日)

■題目:信仰を立てる生活

■説教:和田康伸 教区長

■御言訓読:ルカによる福音書(第8章43節~48節)

ここに、十二年間も長血をわずらっていて、医者のために自分の身代をみな使い果してしまったが、だれにもなおしてもらえなかった女がいた。
この女がうしろから近寄ってみ衣のふさにさわったところ、その長血がたちまち止まってしまった。

イエスは言われた、「わたしにさわったのは、だれか」。人々はみな自分ではないと言ったので、ペテロが「先生、群衆があなたを取り囲んで、ひしめき合っているのです」と答えた。
しかしイエスは言われた、「だれかがわたしにさわった。力がわたしから出て行ったのを感じたのだ」。

女は隠しきれないのを知って、震えながら進み出て、みまえにひれ伏し、イエスにさわった訳と、さわるとたちまちなおったこととを、みんなの前で話した。
そこでイエスが女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。

■説教内容

今、全国的に真のご父母様の自叙伝の配布が進んでいます。様々な方たちが様々な形で配布を進めています。渋谷教会の前線隊の食口たちも街頭に出れば、1日3冊から5冊配布できるように定着してきたということです。また訪問で配布し頑張っている方たちもいます。本部でも自叙伝の証しを集め全国の証しが聞こえてきています。

先週、ある姉妹の自叙伝配布の証しと火事の証しのDVDを見ました。以前、総会長からも、自叙伝を持っていた食口の家庭が火事から免れたという証しを聞いたことがありましたが、この証しがまさにその火事の証しでした。

その証し感銘を受け、また先週活躍された、なでしこジャパンの闘いに相通ずるものがあるかと思いますが、それに際して私がとても深く悔い改めさせられた内容がありましたのでそのことについて少しお話したいと思います。
その証しは、インタビューに対して答える形で、最初は43冊の自叙伝配布の証しと、後半はその火事の証しで構成されています。紹介によると、その家庭は三世代が信仰を持っている家庭で構成されていて、祖父母の方が3万双既成家庭で、ご両親が4億双6次の祝福家庭、本人が信仰歴3年の家庭を持つ前の独身女性で保育士だということだそうです。

その方ご自身の対象者の方と修練会に参加して一緒に自宅に帰ると、家の近辺が火事になっていて、2軒隣の家から出火したということで、かなり燃え広がっていて、状況としたら危険な状態だったそうで、周りで見ている人が、危ないので入るなと言われたそうです。本人も修練会から帰ってきて、本当にびっくりされたことと思います。

それでその姉妹は、どうしたかというと、ここで皆さんがもし自分がこの方の立場だったら一体どうするのかという気持ちで聞いてもらいたいと思います。彼女はそういう状況の中で何をしたかとういうと、原理講論や天聖経などのみ言を家の隅々に置いたということです。そして2階に上がって行って、真のご父母様のお写真の前で、原理講論を短く大きな声で訓読したというのです。

家に火が迫ってきているのですよ。そしてそれからお祈りしたというのです。そのお祈りがすごいなあと思いました。「神様、真のご父母様。今、この家に火が迫ってきています。このままこの家を焼いてよろしいのですか?この家の者は復帰されていますし、み言もたくさんあります。神様、今こそ奇跡を起こして下さい。」とお祈りするのです。

聞くところによると彼女は韓国・清平での40日修練会に参加して、そこで、神様と真のご父母様の愛を本当に感じて、神様と真のご父母様から愛されているという思いがみなぎりあふれて、しかし実際の生活では、その愛の世界をよく伝えられなかったというのです。そこで彼女はそのお祈りの中で、「神様、今から伝道が始まります。あなたの愛を証しさせて下さい。」とお祈りするわけです。いや、すごい。本当にびっくりしました。こういうお祈りをするのですねえ。私にはできないと思いました。

そうお祈りすると彼女は、2階から下りて、その時、家族の方は家財道具をまとめたりなどしていたようですが、家族のところに行って一人一人に、ご父母様のお写真を渡して「大丈夫だから、この家は大丈夫だから、守られるから、みんな祈って下さい。」お祈りするように訴えて、本人は外に出て、その時外では、消防士の方々が、必死に消火活動をしている最中だと思いますが、そのそばで、「絶対善霊よ、あそこの火を消しなさい!」と叫んだのだそうです。

いやあ、消防士の方も驚いたでしょう。それが彼女が火事の時に取った行動だというのです。写真も見ましたが、不思議なことに、隣の家は全焼したのですが、この通路ぐらいしか離れていないにもかかわらず、彼女の家は火災を免れて、一切燃えなかったそうです。被害がありませんでした。

きっと絶対善霊が、必死に守ったのでしょう。それで2、3日後、近所にこの家の噂が広まって行ったというのです。あの家には何かあるぞと。そういう話になり、それがどうも自叙伝ではないかということになり、それは、その方の家族がそういうのではなく、周りの人たちが、その火事を通して、そのように言うというわけです。

あそこの家は守られている。自叙伝のおかげだという噂がどんどん広まり、かねて、この方から自叙伝を配布してもらっていた方も、この度のことを知り、もっと真剣に、自叙伝を読んでみますと言ってくる方や、私のところには、まだ配布されていないのですが、いただけますか?と言ってくる方などがいたり、自叙伝がどんどん広まっており現在も進行中だということのようです。

この方のことが大変な証しとなっているようです。そして火事の時に妹さんが帰省していたらしいのですが、その火事のどさくさに財布を盗まれたということでしたが、しかし、一連のその話を聞いて、盗んだ人もビックリしたのでしょうか、財布が、返ってきたということだそうです。

そこで、私が何を思ったかというと、宋総会長様からこの話を聞いた時は、私は単純に、これは自叙伝の力だと思いました。しかしこの証しを見たときに、もちろん自叙伝の力もそうでありますが、この方の絶対信仰の力があったのだと思いました。自叙伝だけではない、信仰の力があってこの奇跡があったと思いました。

信仰歴のまだ浅い姉妹ではありますが、この姉妹の絶対信仰があってこの奇跡を起こさせたのだと思いました。私はそうは出来ないだろうなあ、すごいなあと思いました。イエス様も、「あなたがたが、山に向かって動けと言えば山も動くのだ。」といわれるように、本当に信仰の力はすごいのだと思います。この方のその信仰のゆえにこれが起きたと、改めて信仰のすごさを感じました。

さて、今一つは、なでしこジャパンの話ですが、アメリカとの決勝戦は、パワー、スピード、体格そのものもアメリカとは違っていて、対戦成績を見ても、過去に一度も勝ったことがなかった世界最強のチームで、キックオフから試合の流れはアメリカが攻め続け、後半アメリカが先行、そして宮間選手が同点ゴールを決めその後1点をアメリカが得点しました、残りあと3分のところで、澤選手が同点ゴールし、PK戦で3:1で勝利しました。本当になでしこジャパンの伝説となるような試合でした。テレビの解説によると、アメリカは女子サッカーが盛んで500万人の競技人口があるそうですが、それに対し日本は2万5千人だそうです。その差は200倍です。

そして、しっかりとしたプロリーグがありプロの選手として活躍しているということです。人気選手などはCMにもでているということですから、それなりの収入を得ているということですが、それに対して日本の選手は、プロ契約している人は6人であとはアルバイトや社員として働きながら、夕方から練習など活動を始めるのだそうです。平均月収は20万円ぐらいと、環境からして違いすぎます。

比べ物にならないのですが、アメリカと闘うのは、夢のまた夢のようなことだということですが、実際には勝利しました。快挙を成し遂げました。何がそうさせたのかというとそれは勝ちたいという希望、勝つぞという決意、それが試合の結果をもたらしたのだと思います。もちろん彼女らは信仰を持っているという訳ではないので彼女のたちの勝利に対する確信と決意が奇跡の結果をもたらすという、信仰の大きな力を改めて確認させられた先週一週間の歩みではなかったかと思いました。

私たちが、毎日の生活の中でどれくらい信仰を立てて歩んでいるかということなのですが、この方の証しにあったように「神様、奇跡を起こさせて下さい!」と叫んだように、その彼女の発想は、毎日の生活の延長にあり、もしこの方の信仰が弱かったなら、本当に伝道したいと思っていなかったなら、火事の時にそのようなことはしなかっただろうと思います。

毎日の生活の中で信仰を立てながら、いつも、いつも神様と真のご父母様を証ししたいと思っていたので、いざという時にそういう行動がとれたのだと思います。そういう観点からもう一度私たちは自分の信仰がどうなのかということを振り返ってみなければならないと思います。今、私たちは、摂理の重要な最後の闘いを歩んでいるところですが、今日、真のご父母様はすべての闘いに勝利されて、ゆるぎない勝利圏を打ち立てて下さいました。

先ほどの週間ブリーフィングではナイジェリアでの大会での大勝利の様子がありましたが、ご父母様自ら世界を回りながらその勝利を宣布して下さっています。真のご父母様が勝利されたというのはどういうことかというと、その勝利圏が私たちにも連結されているということで、真のご父母様の子女である私たちも勝利できる立場に立っているということなのですね。自分と関係ないものとして喜ぶのではなく、私たちに連結されたものとして真のご父母様の勝利圏は私たちの勝利だと思わなければならないと思います。

清平では、本体論教育が終わった後に大母様が一人一人と握手し、その時に、絶対善霊をつけて下さっているということで、教会でのそのようなことは全て天運につながっていると言えるでしょう。霊界は目に見えない世界ですが、ビジュアルに確認されなかったとしても、私たちは完全に真のご父母様とつながっているものといえます。

今年、3月に大母様をお迎えして、「天運相続のための新しい出発修練会」を開催した時も、横断幕には「天運相続」という言葉が書かれていました。一般的にはあまり使われない言葉ですが、「天運」は私たちがどんなに努力しても得られないような運勢で、「天運」は個人の運勢の良しあしに関係なく、大きな運勢圏に連結されているものです。

先々週、「生き方講演会」が開催されて、その先生からお話を伺いましたが、大変面白かったと思います。運勢の良しあしは、私たちは、横線を引っ張って、その上にいる時は運勢が良い、下にいる時は運勢が悪いと、そのように思っているのですが、しかし、生きて、私たちは神様と真のご父母様に出会うことを通して、私たちの角度が変わったということです。

横線水平一直線だったのが、右上がりで上下運動するようになりました。神様と真のご父母様に会わなかった時よりも、はるかに良い運勢圏を歩んでいるということですね。私はとても感動しました。この場におられる方々も天運に連結されているということは間違いなく運勢が良くなっている、上向きになっている、間違いなく天運に連結されているということです。お金にも変えられない貴い運勢圏の中で歩んでいるということです。それを実感いたします。

あの天運相続の修練会に参加されていた方々も、間違いなく大きな運勢圏に連結されているわけなのです。私たちは潜在的にはものすごいパワーを持ち、あの火事の証しにあったように大きな運勢に連結されていると思いました。しかし、毎日の生活の中でその運勢圏を現実のものとして、表しているのか。その大きな運勢をいただいているけれども、その大きな運勢を発揮できないでいると思います。

何故発揮できないのかというと、努力していないので、発揮できないのではないかとそのように思っています。いくら、大きな天運に連結されていても、私たちが動かなければ結局腐って無くなってしまう。天運を生かして、それを通してどれくらい実体化出来ているか考えてみてみれば、天運を置き去りにしてきているのではないか。そういう意味では、この火事の証しは、ものすごく衝撃的です。その力がこの姉妹にあるとするならば、皆さん方にも同じ奇跡を起こす能力を私たちは持っている。発揮できる運勢圏を与えられているのでそれを発揮する努力が必要です。

真のご父母様の勝利圏が私たちに相続されようとしています。しかし本当に相続できるかどうかは、私たちの5%にかかっていると思います。真のご父母様の勝利圏の相続は、本当に神様を証しし、真のご父母様を証しし、今、天一国創建のこの時に、氏族メシアとして、切実に念願し具体的に動き、活動する人に相続されると思います。例えば、八大教材教本もそうです。それを相続するためには、本当に精誠を尽くさねばなりません。

そういう意味では、私たちは今、真のご父母様の勝利圏の相続者にならなければなりません。権能において運勢において、すべての勝利圏を相続して、事を成すことができる私たちになって行かなければならないのです。それとともに変わっていかなければなりません。摂理は私たちに変わることを願っています。具体的な行動と活動を通して変わっていかなければなりません。

今まで以上に対社会的な活動を積極的に繰り広げていく私たちでなければなりません。それぞれの地域で、PTA や、自治会そういう地域社会、それぞれの環境圏と事情圏の中で、神様と真のご父母様を証ししていくことができるように努力していくべきでしょう。ご父母様の勝利圏を相続して決意して出発していかなければならないでしょう。

私たちが毎日唱和する、家庭盟誓の8番の中に、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の言葉がありますが、その立場に立っているか、もう一度チェックしていかなければならないでしょう。エデンの園において、ヘビはアダムとエバを誘惑して、アダムとエバは半ば死んでもいいというような気持ちで堕落していきました。ですから私たちの信仰もある面においてはいつも命がけということが必要です。

信仰の世界には中途半端な信仰というのはありません。信仰という言葉はいつも命がけであるということを前提としています、なぜなら、アダムとエバが命がけでみ言を失ったので、そのみ言を中心として、歩む時は、中途半端な信仰というのはありません。本当にはっきりとさせないといけません。もしそういう世界がなければ本当の信仰とはいえないでしょう。真のご父母様の生涯を見たときに、七死復活の歩みされたようにいつも死と隣り合わせでした。

程度や立場は違っていても、命をかけて越えていくのだということがなければ、どうして私たちは真のご父母様とともに闘ってゆくことができるでしょうか。特に私が思うのは、女性の信仰はすごいと思います。やっぱり女性が信仰を立てて、男性を生みかえる、どうでしょうか、男性の方出来るでしょうか。本当に頑張らなければならないと思います。

今日、お願いしたいことは一つです。是非とも皆さん、信仰の目標を持ってほしいということです。いろんな目標があると思います、生活する上での目標、お仕事をする上での目標、子育てをする上での目標、いろんな目標を掲げながら生活していると思います。

何を成すのかという目標をはっきりと決めてほしい。目標がなければ全てが曖昧になってしまいます。貴重な時は過ぎ去ってしまいます。2013年1月13日を迎えて、私は一体何をやってきたのかということが一番怖いのです。この一週間、この一カ月、この一年、一体何をするのか、という信仰の目標を持つことが大事です。

例えば、何人伝道するのか、また愛せない人がいたら、良い人間関係を築こう。神様に、真のご父母様に私はいついつまでにこれをこうしますという信仰のはっきりとした目標を立てる事が必要です。目標がなければ曖昧なままに流れて行ってしまいます。目標がはっきりすれば、勝ち負けがはっきりします。信仰生活がクリアになります。

私たちは直接的には信仰生活の成績表は与えられていません。でも、皆さん、いずれの世界においても学期末は成績が発表されます。しかし、間違いなく私たちの信仰生活は評価されています。いずれ霊界に行く時に明らかにされるでしょう。私たちは生きているときに自分自身の信仰の成績表を明らかにしなければなりません。

そのためにはまず、目標を決めて、一生懸命に取り組む、そして、お願いしたいことは、真のご父母様の願う基準から目標を立てて下さい。自分でやってこれくらいできるだろうなあというのではなく、神様が私にこれくらいやってほしい、真のご父母様がこうやってほしいという天の基準を中心として目標を立てて下さい。自分を中心として立てる目標より大きな目標です。

大きな目標だったら、それはときには自分を逆境に追いやることがあります。でも、逆境に追いやられたときに、「ああ、神様、私とともにあって働いて下さい。」というような心境になるのですね。その私たちの信仰において、逆境ということは、私たちが神様と真のご父母様に出会う良いチャンスと言えるのです。

反対に言えば、「神様、どうぞ、働いて下さい。私が命をかけますから働いて下さい。」と祈ることがなかったら、どうでしょう。神様と真のご父母様を求めて必死に祈る。そういう体験をしてこそ私たちの宝となります。一心不乱、一生懸命その中で神様と真のご父母様との出会いがあります。

自分自身を逆境に追い込むことを通して、信仰の新たな道が開かれていきます。そうではないでしょうか。そういう意味で、私たちにはもう後、600日も残っていません。その期間に私は何をするのか。もう一度、お父様の天一国創建に合わせて、私が何をするのか。私の家庭が何をするのか。もう一度目標を明確にして、天に誓って私たちは出発しなければなりません。そうであってこそ、私たちは真のご父母様とともに天一国を創建していく天の勇士、烈女となれるのではないでしょうか。

私にとっては、この火事の証しは、衝撃的というか、いろんなことを考えさせられました。本当に絶対信仰に立ってこの一日を歩んでいるのか、それをもう一度自分自身を振り返り、神様とともにご父母様とともに、歩むことのできる勇士、烈女となって行きたいと思います。それを神様が、ご父母様が願っているとそのように思います。今日から始まる新たなこの一週間、天のお父様、真のご父母様とともに出発できる一週間となれるように願っています。

カテゴリー:今週の説教 - 11/07/26掲載

説教(7月17日)

■題目:あなたの萎えた手と弱くなっている膝を真っ直ぐにしなさい

■説教:和田康伸 教区長

■御言訓読:ヘブル人への手紙(第12章5節~12節)

 また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。
 主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。
 あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。

 だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。
 その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。
 肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。

 すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。
 それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。

■説教内容

最近日本は元気がありません。政界でも不安を感じている人が多いのではないでしょうか。その中でも女子サッカーのなでしこジャパンが頑張っています。
決勝トーナメントで初めて戦ったのがドイツでした。強い国で大会3連覇を狙っていましたし、大会自体がドイツでしたので客観的にはとても不利でしたが、延長の末にドイツに勝った、その翌日か翌々日のコラムです。

「サッカーの女子W杯ドイツ大会で4強入りした日本代表の名称なでしこジャパンは2004年のアテネ五輪の直前に決まった。日本サッカー協会が応募の中から選んだものだ。やまとなでしこは日本女性の美称でもある。47年前の東京五輪で金メダルを獲得した女子バレーボール日本代表のニックネームは東洋の魔女だった。

名付け親は最大のライバルだった当時のソ連のメディアだった。もうれつなしごきが話題となった大松博文監督以上にキャプテンの河西昌枝さんの存在がいかに大きかったか。スポーツライターの吉井妙子さんが文芸春秋7月号に書いてある。河西さんはある時はお母さん、またある時はお姉さん、そしてコートに入ったら大松先生より怖いコーチだった。

たまたま吉井さんは都内のホテルで河西さんと食事の最中に東日本大震災に遭遇する。大きな揺れにも全く動じなかった河西さんがこう語る。今日本は大変な状況にさらされているけれど、日本人は逆境に強い民族だと思う。今まで平和だったからナニクソ精神が生まれたままだったけど、今が発揮するチャンス。なでしこジャパンで河西さんの役を務めているのが澤穂希選手だ。

代表通算78得点を誇り、準々決勝のドイツ戦では絶妙なパスで丸山桂里奈選手の決勝点のお膳立てをした。何より苦しい時には私の背中を見てと若手選手を引っ張っていった。東洋の魔女は身長の差が10cm近くあるソ連を打ち破り、戦後復興を遂げつつあった日本人を勇気付けた。同じようになでしこジャパンは被災者の希望の星となれるであろうか。準決勝が楽しみだ。」というコラムです。

日本は第二次世界大戦が終わってから既に65年を経るに至って、基本的にはいろいろな事件や事故があったけど、終始一貫平和な世界を保ち続けてきた事は間違いない事実であります。
第二次世界大戦が終了した時にはこの辺も焼け野原になっていたのではないでしょうか。おそらく日本の主要都市は空襲を受けてどこも同じように焼け野原になっていたと思います。

名古屋では町の中心に100m道路という広い道路があります。当時では信じられないような道路ですが今後を考えて名古屋市長がつくり、今は功を奏していると思います。車で生活するには大変便利な都市となっています。急速な驚異的な戦後復興を遂げていくわけです。

み言を聞いた立場からすれば日本が第二次世界大戦で敗戦して、この日本の国を天は祝福してくださり、天からすれば恩讐といわれても仕方がないような日本であったとしても、その日本を祝福してくださり、その祝福の中で日本は高度経済成長をして世界の一等国になっていったという事です。

しかし天の祝福があってもそれだけで日本が発展してきたのではなく、日本人の持っている特質性があると思います。日本人は勤勉であります。海外の人からみれば、勤勉さ、社会秩序を守る倫理性、外国人への親切さが特質であります。欠点もあるので鼻を高くする事ではないですが、こういう日本の民族性というものは誇り得るものではないかと思います。平和が65年続いてきましたので、特質性が段々埋もれてきてしまっているような感覚があります。しかしそういう特質性は東日本大震災のような、私達が逆境に立たされた時に現れるのです。お父様のみ言に「普通の時ではなく試練の時にその人の本当の姿が現れる」というのです。

コラムによると東日本大震災の時に、東京でもかなり揺れたのに河西さんは微動だにしなかったのです。その時に、日本人は忍耐心がある、「ナニクソ精神」がある、普段埋もれている特質性が逆境の中で発揮されてくると語ったというのです。日本は今逆境に向かっていると思います。天から与えられた特質性を発揮する時ではないかと思ったりします。なでしこジャパンは体力的な事があったり、ハンディがあったりするけど食らいついて一生懸命に頑張る姿はとても感動します。特に女子が頑張っているのはやはりエバ国家だなと思ったりもします。

天は日本民族をどう見ているのか。一般の人には見えなくても、天は日本の一点の特質性をもって摂理して下さっています。個人の歩みにおいても、神様は皆さんの他の人にはない何かを持っている、その一点を見つめながら今も導いてくださっています。

 神様の愛をどうとらえていくのかについて少しお話します。神様は被造世界をつくるにあたって2つの異なったものをつくられました。1つは人間です。神様の形象的実体対象です。もう1つは人間以外の全てのものです。象徴的実体対象と原理では言っています。神様は明確に分けて創造されています。最も違う点は責任分担です。万物は蘇生、長生、完成の三段階を原理の主管性と自立性によって完成するようになっています。

それに対して人間は原理の主管性と自立性によって完成すると共に、人間には責任分担があり全うする事によって完成するようになっています。責任分担があるかどうかが分かれ目となっています。

原理講義をする時によく花の種の話しをします。花の種はとても小さなものですが、土にまいて適度な環境圏におかれたものは大きく成長し花が咲きます。小さな種のなかに神様の意図や願いがあって、時間の経過と共に成長して、大きな花となって人間の喜びの対象となるようになっています。自然に自動的に完成するのが万物であります。

人間はどうかというとある一面においては万物のように成長します。それは体です。あるがままに時間と共に成長します。原理の主管性と自立性による天に任せた部分です。人格、心情の内的世界は自動的に成長し完成するのではなく、人間自身の責任分担が関係してきます。

アダムとエバはとって食べてはいけないという戒めを守り三段階を経て完成実態となる、または守らずに完成実態となれない時、直接的責任は誰にあるかというと神様にあるのではなくて私達人間、アダムとエバにあったというのです。このようにして人間には責任分担が与えられており、その責任分担を全うすることによって初めて完成する、即ち自分自身の責任分担があるかどうかという事が人間なのか人間以外の万物なのかを分ける分け目となってくるという事を知る事ができます。

 創造原理(第5節)の間接主管に神様の愛が書かれています。なぜ人間に責任分担が与えられたのか。1つは人間に創造性を与えようとしたため。もう1つは神の創造に加担させる事によって、人間を万物の主管主としての権限を与えるためです。神様はご自分の姿に似せてそっくりにされたかった。神の子女として創造性を与えたかった。その為には神様も干渉できない責任分担を全うするしかなかったのです。

例えば子供が宿題を持ってきた時に、親が全部やってあげると子供は学習能力ができません。賢い親は子供にとって本当に幸せになる事を考えます。時には酷なこともあるかもしれませんが、子供の将来を考えたら敢えて干渉しない事もあります。本当に子供の事を考えたら干渉できない一線があるという事を知る事ができます。

神様は親バカではありません。私達が出来るところまで神様がオーバーして無理に干渉することはありません。責任分担を全うして神様に似たものとなった時に、神様は喜ばれるのです。責任分担は神様の愛であります。親なる神様は私達に多くの恵みを与えてくださるのも事実です。

いつも恵みばかり与えてくれる信仰路程だったなら、神様はまだあなたを一人前の子供として見ていません。神様はあなたに対して遠慮をしています。神様はまだあなたを心配しているから恵みばかりを与えて下さっていると思わなければなりません。

神様は愛するものを訓練するのです。神様は愛しているなら間違いなく必要な試練を与えるというのです。責任分担を与えて干渉しないのです。そうする事で少しずつ成長するのです。訓練・試練の時が一番神様に愛され、神様に近い時なのです。試練の中で愛をあらわして下さっているのです。神に似たものとなるため試練を下さり、私達を信じて下さった証しであるという事です。責任分担は神様の愛の表現であるという事がわかります。

李相軒先生は復帰される前は情がなかったそうです。原理を聞いて知的には真理だとわかるが神の心情がわからなかったそうです。そこで無期限断食をしました。講師をするため三週間でやめられました。三週間断食してその後小魚がでた時、その小魚から「私を食べる資格がない」と霊的に聞こえたそうです。

その時最初に荒涼としたエデンの園があらわれ、次に人に嘲笑されながら船をつくっているノア、アブラハム家庭のイサクを捧げようとした光景、次に十字架にかけられた茨の冠を被り血を流されたイエス様、最後は絶壁を血を流しながら上がって行かれる真のお父様の姿が現れたそうです。神様の悲しい心情が感じられ、その時から先生はガラリと変わられました。神様の心情を近くに感じられるようになったそうです。

小さな責任分担を全うする事によって、この被造世界全てを主管できる権限を私達に与えようとして下さったという事です。自分自身を創造するという神の創造の一端を担うことによって全て神様と共に私が創造してきたという立場で主管する権限を与えて下さった。人間的に見れば責任分担は決して簡単ではありません。

責任分担を与えられたという事は神様の愛だと言えます。責任分担を訓練や試練という言葉に置き換えてみれば、神様は私達を愛するが故に訓練するのです。私達も分からない本性を神様は知っておられます。ご父母樣との関係を考えて見る時に、日本は簡単な立場に立っていません。世界の食口達は苦労しています。日本の食口の苦労は簡単ではありません。

天との関係において、もし自由にしなさいと言われたら何をするでしょうか。平和ボケした日本が、本来の民族性を失い、行く道が段々おかしくなってきている、堕落した立場からすれば人間の本性とはそういうものです。ほっとかれると良い方向へは行きません。悪い方向へ行く事が多いです。もし私達に摂理がなかったとしたら、日本はどういう道を行くでしょうか。

皆さんの信仰生活はどちらに向かっているでしょうか。天は私達を良くご存知で、私が分からない私の本質を良く見つめながら導いて下さっていると思います。ある面においては迫害を受けています。拉致監禁があります。地の迫害です。その他に天が私達を逆境に追いやっています。なぜなら私達を信じており、私の本性を誰よりもご存知だからです。逆境の中で引き出しながら天につなげて下さっているのです。

神様が訓練しようとしてくれているのに、私は嫌だという人は本当に神の息子・娘でしょうか。もっと訓練して下さいと言えればどんなに感動的でしょうか。皆さんの手は萎えてはいませんか、足は弱っていませんか。主の訓練の前に自分はどうであるのか考えないといけません。

愛をしっかりと受け止めながら力強く歩んでいかなければなりません。訓練が与えられないなら、あなたは私生児であって本当の子ではないのです。神様を見つめながら、ご父母樣を見つめながら信じて恵みの時にも訓練の時にも変わらない信仰を持って力強く前進して行きましょう。

カテゴリー:今週の説教 - 11/07/21掲載

説教(7月3日)

■題目:悔い改めは、信仰生活の要

■説教:和田康伸 教区長

■御言訓読:「み旨と世界」

創立以前の内的教会史
・出会いは興亡の接点

先生と出会うということは実に難しいことです。その出会いにおいて誤れば大変なことになるからです。先生が直接伝道していた人々の中にも、正しく出会わなかったがゆえに、自らを滅ぼしていった人々がたくさんいました。

過去の歴史においても、主に正しく出会わなかった個人、家庭、氏族、国家は、最後には十字架に追われ滅亡していった事実を多く見ることができます。先生は最も重要な人物でありますが、それと同時にもし正しく出会わなければ最も難しい人物です。

アメリカにとっても、もしあなた方アメリカ人が先生に正しく出会わないとすれば、先生があなた方の十字架になるかもしれません。世界もまた例外ではなく、正しく出会わなければ滅びていくほかありません。

谷底へと転げゆく汽車のごとくに、下り坂をまっしぐらに駆け下りてきて、今にも谷底に転落せんとしていた人類史でしたが、先生はその滅びゆく個人、家庭、国家、世界と出会って、その滅亡を止めるために来たのです。

神のみ業は、常に最も衝撃的革命的な逆転の業ですが、統一教会のなせることも正にそれでした。そしてあなた方は今、そういう運動に参加しているわけですが、歴史の重荷を自分のものとして担い、下向する歴史の方向を逆転せしめる原動力となるのは自分たちだと考え、それだけではなく実際に自分の肩にその重みを「重い」と感じている者でない限り、参加しているつもりでも、見物人にすぎません。

■説教内容

2000年前にイエス様が来られた時、洗礼ヨハネは『悔い改めよ、天国は近づいた』と語りました。

イエス様は残念ながら天国を完成することが出来ませんでした。しかし今の時代は真の御父母様が天国実現の道を開いてくださいました。あとは私達次第です。

起源節まであと599日となりました。そのことを皆さんはどのように感じますか。時が一日一日過ぎ去っていきます。神の国創建を目前に控えて歩んでいます。そこで洗礼ヨハネの言葉をもう一度思って歩んで行きましょう。

私達は霊的に見れば、氏族メシヤと書かれているIDカードを首から提げています。霊界の人々からはそれがよく見えるはずです。その方々は我々に協助しようと思っているでしょう。

私達は今、悔い改めが必要です。氏族メシヤとしての歩みを悔い改めて残りの599日を歩む必要があります。通常は、悔い改めると言ってもそう深い意味で悔い改めることは難しいと思いますが、今は本当に深く悔い改める時です。

氏族メシヤの摂理が出発してからもう長くなります。いよいよ599日を残し、氏族メシヤの立場を明確にしましょう。
悔い改めというと聖書の中のペテロのことを思い出しますが、使徒行伝の中のペテロと、福音書の中のペテロとでは異なった姿で書かれています。イエス様が生きている時のペテロは幼い弟子の姿で書かれています。

そして、結局ペテロはイエス様を十字架に送ってしまいました。イエス様が最後の晩餐で語られた言葉は遺言のごとくでした。それは人類に残すものでした。イエス様は弟子たちの足を丁寧に洗いました。

弟子たちの足を丁寧に洗うことによってもう一度神様の愛を伝えようとされました。そのことを弟子たちはよく分かっていませんでしたが、イエス様は、私がするようにあなた達もこれから来る人々に良くしてあげるよう言われたのです。

その当時のペテロは、主よ、足だけでなく頭も洗ってくださいと言ったほど幼い信仰の持ち主でした。

しかし、イエス様が亡くなってからのペテロは一変します。すばらしい信仰の持ち主になって行きました。群衆の中でペテロは10人の弟子と共にイエス様の十字架の救いについての説教を始めました。1日で3000人が基督教に改宗したと言われます。

バチカンにはサンピエトロ大聖堂があります。それは、ペテロの墓があった場所に建てられた聖堂です。今では世界中から尊敬される立場のペテロなのです。

このペテロはどのようにして生まれ変わったのでしょうか。聖書には書かれていませんが、深く悔い改めたのでしょう。ペテロほどイエス様からたくさん愛された実感を持っていた人は居ないでしょう。

にもかかわらず、イエス様と運命を共に出来なかったことを深く悔い改めたのでしょう。ペテロはイエス様が周囲から嘲笑、罵倒され、殴られ、蹴られている姿を見ているだけで何も出来ず、あの人を知らないと3度も否定しました。イエス様の十字架の時には、イエス様に世話になり、イエス様のことを知る人達もその光景を見ていたでしょうが、何も出来ずにただ見ているだけだったと思います。

しかしその心には良心の呵責を感じていたに違いありません、その際たる人がまさしくペテロだったでしょう。イエス様が復活した後、海で漁をしていたペテロ達に対して復活されたイエス様が声をかけられましたが、ペテロは一人だけ海に飛び込んだと記述されています。

なぜかは書いてありませんが、ペテロはイエス様の愛に応えることが出来なかったことにいたたまれなくなって飛び込んだのだと思われます。そしてペテロは悔い改めていったのでしょう。イエス様の教えに生きようと決心したのでしょう。

その後も信念を貫いて天の願いに生きたのだと思います。その道は困難で、本当に迫害の多い道だったでしょう、それでも信仰を貫いて最後は逆さ十字架にかけられてしまいました。今日、私達は神様の決意とみ意の中で氏族メシヤとして召命を受けた立場です。

私達はお父様とは使命の大きさが異なっていても同じメシヤの名を持っています。私達は霊界から見れば普通の人とは異なっていると考えなければなりません。氏族メシヤのIDカードを提げている私達は普通の人たちとは全く異なっています。神様から見ても、『私が立てた氏族メシヤがここに居る』と思います。

自分の意思を超えてこの場に立っている私達なのです。氏族メシヤは天命です。その摂理は20年が経ちましたが、どのような立場で今を迎えているでしょうか。実績無く迎えてしまっているのではないでしょうか。責任を全うできないとしたら敗北です。

今はまだ曖昧ですが、時が来れば成績発表されます。一日一日が深刻な毎日です。本当に足らないことが多く心が痛みます。そのままでは終えることが出来ません。お父様と同じメシヤの名を共有する私達は、もう一度奮起して歩んで行きましょう。私たちはペテロと同じ立場なのではないでしょうか。

私達は御父母様から多く愛されてきました。これからの人類は御父母様と共に生きた時間が無くとも、御父母様から愛されていることを感じていく様になるでしょう。

私達は今の時を御父母様と共に生きています。悔い改めて生まれ変わってもう一度決意して歩んでいく必要があります。新しい勝利の道が開かれていくに違いありません。

先週一週間歩んできて、御父母様と同じ荷を負っていると感じているでしょうか。重荷を共に負えることも光栄なことです。成約生徒の立場でもう一度使命を中心として悔い改めて、天一国の勇士烈女としての勝利をしてほしいと思います。

カテゴリー:今週の説教 - 11/07/07掲載
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