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讃美礼拝(2016年7月24日)
■讃美した曲目
喜び(オープニング曲:全聖歌隊)
全体讃美 聖歌63番
アメイジンググレイス(全聖歌隊)
聖歌36番(渋谷グリーンハーモニー)
聖歌9番(渋谷グリーンハーモニー)
ソロ(メゾソプラノ独唱)
「母なる祖国に祝福あれ」
説教(2016年7月24日)
■説教者:堀 正一 教区長
■御言訓読:天聖経(第9編 第1章 第1節 16.6)
16二十四時間、全体のみ旨が成し遂げられることを願いながら、その場に行こうと努力しながら祈る人、そのような祈りの心をもって努力する人は、祈りを生活化した祈祷者として神様に到達できるのです。
そうなれば、先生と共に暮らすことができ、神様と共に暮らすことができるのです。神様が直接干渉するのです。直接主管園内に入ります。原理がそのようになっているのです。そのため、皆さんが家庭教会活動をすれば、神様に出会えます。生きた神様を知ることによって、神様のみ旨が成し遂げられることを体験しなければなりません。
6家庭教会がある所が天国です。歴史的責任を中心として、統一教会は勝利の道を築いてきました。現在、荒涼とした砂漠、地獄のような世の中に、このような道が現れたという事実を考えてみるとき、これは何という生命の道、光明の道、希望の道でしょうか。
この中で神様に出会うことができ、この中でメシヤに出会うことができ、この中で真の父母に出会うことができ、この中でカイン・アベルが一つになって出会うことができ、失われたすべての怨響、失われたすべての氏族、失われた全人類を探し出せるのです。
説教(2016年7月17日)
■説教者:堀 正一 教区長
■御言訓読:天聖経(第3編 第3章 第3節 29)
29神様が先生をどれほど訓練されたか分かりません。先生には、神様が愛の神様ではありませんでした。考えるだけでも残酷です。世の中の商売人のような心をもったなら、もう既に逃げ出していたでしょう。み旨のことは考えもせず、神様がまた来るかもしれないと思って、はるか遠くに逃げていたでしょう。
神様は、先生が監獄に入っていって苦労する時、最も多く愛してくださったのです。そのような場に行ってみると、「ああ、神様は、私を愛していらっしゃるのだなあ!」と知ることができます。ですから、監獄に入ったとしても、それが嫌ではありませんでした。ですから、統一教会の教会員は苦労しなければなりません。
監獄や拘置所に入っていってでも苦労しなさいというのです。神様に出会うことができる場所とはどこでしょうか。最も深刻でつらい場所で神様に出会うことができるのです。
説教(2016年7月10日)
■題目:真の愛の実践
■説教者:堀 正一 教区長
■御言訓読:天聖経(第3編 第3章 第2節 11.10)
11愛する人との愛や父子関係の愛は、季節に関係ありません。自分の愛する人のために涙を流すその涙は、春や夏や秋や冬などの季節を超越します。真の愛は、若い時代、中年時代、老年時代を超越します。永生することができ、永遠に喜び、永遠に幸福になることができる軌道のようなものが真の愛です。
世の中に変動が起き、革命が起き、生死の境が変わることがあっても、愛だけは変わりません。いつも、そのような心情的な環境をつくっていかなければなりません。そのような環境を続けるためには、祈りの生活が必要です。そのようにすることによって育ちます。み旨の道を行くところには、愛の道を求めていくところには、監獄が問題ではなく、死が問題ではありません。死を克服し、困難を克服できる道が、真の愛を求めていく道なのです。
10長い間、耐える道が宗教の道であり、長い間、耐えて犠牲になるのが宗教の道です。忍耐と犠牲で、探し出された偉大な愛の世界のために神様を信じていくのです。神様が「愛」と言うとき、その裏には犠牲が宿り、忍耐が宿っているのです。
説教(2016年7月3日)
■題目:真の父母のみ言相続
■説教者:堀 正一 教区長
■御言訓読:天聖経(第2編 第5章 第5節 1.18.19)
1皆さんの個体をどのように統一させるかということが問題です。皆さんの個体内で、心と体が分かれて毎日闘っているのですが、それは、神様のみ言で収拾しなければなりません。神様の人格と心情で収拾しなければなりません。私が私を愛することを神様が好まれ、私を立てておいて神様が認めなければなりません。
私が語ることを、神様がそのとおりだと認めなければならないのです。そのような実体になるためには、生活圏内で私をどのように統一させるのか、私自体内でどのように統一戦線を構築するかということが、最も急がれるのです。私がそのような実体になれるかということを知るために、出ていって構誠を尽くし、み言葉を伝播してみるのです。そのようにしてみれば、み言を中心として、神様が常に共にいらっしゃることを知るようになるでしょう。
18皆さんは、み言に対する伝統を立てなければなりません。そして、み言とともに一体となることができる人格を備えなければなりません。終わりの日の審判には、三大審判があります。その一番目はみ言の審判、二番目は人格審判、三番目は心情審判です。これが絶対的な基準になっています。
復帰の路程を歩んでいく人々は、最後に現れる一つの真理のみ言と一つになれる伝統を立てなければなりません。
19み言を中心として、一体となる伝統をどのようにして立てるのかということが、絶対的な問題です。み言はみ言、私たちは私たちというように、かけ離れていてはいけません。み言を中心として、自分を育てていくことができる人にならなければなりません。
絶対的な基準のみ言を中心として、伝統を立てなければなりません。み言を立てる時の先生の心の基準に、皆さんも接しなければならないのです。皆さんがみ言を学ぶとしても、み言を中心として学んだその基準で信じるためのものであって、完全なものではありません。そのみ言の背後に伝統的な基準が隠れているので、その基準を体得しなければなりません。ですから、より一層、み言に対する伝統を立てていかなければなりません。