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説教(3月24日)
■説教者:金 滿辰 地区長
■御言訓読:先生の道(総論編)より
「これまで先生の人生は、毎年毎年、毎日毎日、涙をもって明けくれてきた。先生は神に対して、『もし自分が涙を流すことによって、あなたの涙を止め、また、今後の人類を悲惨な運命から救うことができるならば、自分はいくら涙を流しても構いません』と、このようにいつも祈ってきた。
先生は自分がいかに惨めな立場に置かれたとしても、自分のために涙を流したことはない。しかし、先生が祈る時、涙を流さずに祈ったことはない。その涙は誰のためか、神と人類のためである。だからその涙は、聖なる涙である。
聖なる清い涙なくしては、我々は何事も成し遂げることはできない。・・・・過去において先生は寝食を忘れて、神と人類のために涙を流して祈り続けた。統一教会はその中から始まったのである。」(1983.3.1)
説教(3月10日)
■題目:孝の心情の柱を立てなさい
■説教者:和田康伸 教区長
■御言訓読:マルスム(P.65)
親を何遍も泣かす者
「先生は神より以上、犠牲になりたい。十年、百年の蕩減の道が残った場合には、一生涯に恒っても蕩減する。しかし死んではいけない。我は不具者になってもいいから、生命を残して蕩減の道を歩んでいく。それが子供の考えだ。それが報いる道だということがわかる。そう考えるよ。
親もそういう子供を迎えた場合には、骨肉が分離し、にじみ出るような涙を流すんだよ。だから、神様も流しているに違いない。・・・・・・先生を泣かせ、神様を泣かせる場合には、泣いたより以上の悲惨な悲哀な立場に立つ子供に対して、親は永遠に別れようとしても別れることはできない、とういう結論になっちゃうんだよ。
親孝行は、親を何遍も泣かすことだよ。そうだろう。なんでそんなにも、こういうような親に対して忠誠を尽くすかと思った時に、感謝の思いで親は泣くんだよ。親を泣かせる、それ以上の孝行者はいない。競を泣かせて初めて、日本的世界的孝行者として立つことができるんだよ。」(1971.8.21)
説教(3月3日)
■題目:天一国の基元と私の家庭
■説教者:徳野英治 会長
■御言訓読:マタイによる福音書(9章 17節)
だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋もむだになる。だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。そうすれば両方とも長もちがするであろう」。
マタイによる福音書(12章 31節~32節)
だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。
また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。
使徒行伝(第2章1節~8節)
五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。
さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。
そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。
それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。