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平和を愛する世界人として―文鮮明自叙伝
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説教(2016年3月27日)

■説教者:堀 正一 教区長

■御言訓読:天聖経(第9編 第3章 第5節 22.13)

22伝道するのは、統一教会自体のためではありません。統一教会を生かすためではなく、国を生かすために伝道するのです。世界を生かすために伝道するのです。キリスト教とは目的が違います。彼らは、自分の教派の発展のために伝道しますが、統一教会は、私たち自体のための伝道ではありません。

統一教会が完成した位置に立ったとしても、統一教会が究極的に訪ねていくべきところは国です。教会を捨ててでも、国の完成の道を行けば、一段階高い位置で完成の道を迎えるようになるのです。その道がより価値のある道なので、教会を犠牲にしてでも国を探し出さなければなりません。

13伝道に出るのは、「私」も生き、カインも生かすためです。言い換えれば、伝道は、神様とサタンに認証書をもらって、実践するために歩む道です。私が闘うのは、認証書をもらうために立てておいた条件のとおりに実践するためです。皆さんはそれを知って道を歩まなければなりませんが、今までそのように歩んだ人がいますか。何も知らずに行ったり来たりしたというのです。

 ですから、一番の怨讐はサタンではありません。自分が一番の怨讐です。自分が怨讐の立場に立っているので、怨讐のサタンが飛びついてくるのです。したがって、皆さんは、いつも自分が怨讐だと考えなさいというのです。怨讐は、私たちの体を通して現れるからです。すなわち、血統を通してサタンと連結されているので、自分の体が怨讐の立場にいるのです。

カテゴリー:今週の説教 - 16/03/29掲載

説教(2016年3月20日)

説教者:堀 正一 教区長

■御言訓読:天聖経(真の父母様の祈祷 第7章 2)

2み旨の勝利に同参できるようにしてください
 愛するお父様、忘れもしない祖国に帰ってまいりました。この国の将来を、お父様が責任をもってください。幼い統一教会の群れが、この国と民族のために昼夜を問わず、多くの涙を流したことを私は知っております。精誠を捧げる群れの、終末は、勝利とともに連結され、最後の栄光とともに連結されることを知っております。精誠を捧げる途中には困難が伴うものであり、血と涙の出る犠牲が求められるという事実もよく知っております。

 自分に勝利しなければならず、家庭の十字架を克服しなければならず、さらには氏族と民族を越えて国家を中心とした十字架の路程も克服すべき、民族的な使命が残っていることを知っております。また、今後は、世界史的な十字架の山頂に向かって前進すべき、非常に大きな十字架の路程が待っていることも知っております。

 これだけではなく、霊界を中心としてあなたの心情的な路程を開拓しなければならず、現在、私たちが十字架の道を通して、後世の路程を開放すべきであるという驚くべき事実も知っております。小さくは私たちから家庭を通して、民族、国家、世界を通して、霊界を通して、お父様のみ前にまで行くべきその道は、歓迎の道ではなく、迫害と悲しみの擦れ違う環境の中で開拓すべき、行脚の路程であることをよく知っております。

 過去の数多くの宗教者は、この道をはっきりと知ることができずに、個人的な十字架の路程、家庭的な十字架の路程、もしくは社会と国家的な十字架の路程において、すべて倒れていきました。ここに集まった統一の群れはこれを克服し、最後の十字架路程をお父様の心情を中心として突き抜けなければならないという事実を知りましたので、今日、韓国の地で困難を顧みず、多くの苦労をしたことを知っております。この者たちを祝福してください。あすの希望とともに、あなたのみ旨の勝利に同参できる栄光の群れとなるようにしてくださることをお願いいたします。

 今、この場に共に御臨在ください。伝えるみ言があなたの喜びのみ言として、すべての人の心に植えられるようにお許しくださり、ここに向かって、心を合わせて祈祷する全世界の統一の群れであるあなたの子女たちを、一律的な恩賜と愛によって抱いてくださることを、愛のお父様、切にお願いいたします。お許しくださった恩賜のこの場を感謝申し上げ、すべてのものをあなたがまずお受け取りくださることを願いながら、真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーヂユ。(1982.9.26)

カテゴリー:今週の説教 - 16/03/23掲載

説教(2016年3月13日)

■題目:真の父母と祝福家庭、神氏族的メシヤ元年

■説教者:徳野英治 会長

■御言訓読:

天聖経(第2編 第1章 第3節 13-21)

13私たち夫婦が過ぎし数十年にわたって世界的な基盤を築くまで、同族である韓国の人々から受けた無理解と迫害は、本当に耐え難く、悲しいものでした。歴代の政権が、私と統一教会を迫害したのはもちろんのこと、一部のキリスト教徒たちの中傷謀略はあまりにも悪意に満ちたものでした。

私たち夫婦は困難な悪条件の中でも、神様のみ旨と真の愛で完全に一つになり、万難をかき分けてくることによって、今日、全世界百六十カ国以上で、私たち夫婦を真の父母様として侍る人々が、日ごとに増えてくるようになりました。

15お母様は、もともとおとなしかったのです。今、四方にすべて気を配ることができる活動的なお母様になったのは、先生と出会って、そのように訓練されたからです。実際は、静かで、おとなしい女性です。聖婚の前に、青坡洞を行ったり来たりするときも、一つの道だけを通りました。

そのようなことを先生が目を凝らして見ていました。一度来るときもそうであり、二度来るときもそうであり、必ず通った道だけを通りました。そのとき、先生は、お母様となる女性を探そうと、女性という女性はすべて鑑定していた時でした。お母様がそのようにしたことを見て、なるほどと思いました。

 また、韓鶴子という名前が良かったのです。「韓」という字の「ハン」は、漢学の「漢」にもなり、恨めしいの「恨」にもなります。したがって、誰よりも、神様に対して最高に学んだ学者にならなければなりません。韓鶴子という女性がそのようになれば、まさしく神様の相対の位置に立つと思ったのです。

姓も良く、名前も良かったのです。そのように訓練して今日の位置まで来たので、真の母として宣布をするのです。女性を代表して恨の峠を越えます。それで、すべての母の根として宣布するのです。

17今まで、お母様を誰も知りませんでした。

21真の父母を宣布することによって、どのようなことが起こるでしょうか。神様を中心としてために生きていた霊界のすべての善霊と、サタンを中心としていた悪霊が、はっきりと分かれるのです。

 ですから、世の中の終わりです。サタン世界の偽りの父母の愛で始まったすべてが終わりになり、新しい真の父母の愛を中心とする新しい世界になるのです。これを肥やしにして、新しい世界が展開するのです。ですから、皆さんが、新しい生命の生活圏を中心として進んでいくというのです。新しい生命の起源は、新しい愛です。この新しい愛が真の父母の愛です。

天聖経(第9編 第2章 第1節 24)

24今の自由世界を滅ぼすのが個人主義です。この個人主義の自由世界がどのように生き残るかが問題なのですが、これは簡単です。ために生きなさいというのです。ために生きることだけで、すべて救われるのです。統一教会が宗教を統一できるでしょうか。統一するときまで、私たちはために生きるのです。

 今や最後に残った終着地はどこでしょうか。解決方法は何かというのです。すべての壁を崩し、恵沢を受けようとすれば、どのようにすべきでしょうか。氏族的メシヤになりなさいというのです。

カテゴリー:今週の説教 - 16/03/16掲載

説教(2016年3月6日)

■説教者:堀 正一 教区長

■御言訓読:天聖経(第7編 第3章 第2節 30)

30天国を維持できる支持点とはどこでしょうか。環境よりも「私」の心です。心の天国を慕うことができなかった人は、天国の環境ができでも、その天国を動かすことができません。決心ができなければ、完全な行動ができません。完全な決心から完全な行動が起こります。

 ですから、「私」の心が善をどれほど憧憬し、その歴史的善と共に一つになろう、いくら血の涙が出る環境があったとしても善と同行するためにそれを克服しょう、いくら寂しい歴史的終末の環境の中で闘争の路程があったとしでも、それを避けるのではなく、撃破していこうとしなければなりません。

 心が変わらない一路を開拓して、その心に一体となる体の生活環境を形成しようと決意して誓うところから天国が始まるのであって、心と体が別々に行動するところに天国があるのではありません。心と体が一体になったところから天国の方向に前進するのであって、心と体の行動が分かれるところに天国はできません。

カテゴリー:今週の説教 - 16/03/09掲載

説教(2016年2月28日)

■説教者:堀 正一 教区長

■御言訓読:天聖経(第7編 第3章 第2節 30)

30天国を維持できる支持点とはどこでしょうか。環境よりも「私」の心です。心の天国を慕うことができなかった人は、天国の環境ができでも、その天国を動かすことができません。決心ができなければ、完全な行動ができません。完全な決心から完全な行動が起こります。

 ですから、「私」の心が善をどれほど憧憬し、その歴史的善と共に一つになろう、いくら血の涙が出る環境があったとしても善と同行するためにそれを克服しょう、いくら寂しい歴史的終末の環境の中で闘争の路程があったとしでも、それを避けるのではなく、撃破していこうとしなければなりません。

 心が変わらない一路を開拓して、その心に一体となる体の生活環境を形成しようと決意して誓うところから天国が始まるのであって、心と体が別々に行動するところに天国があるのではありません。心と体が一体になったところから天国の方向に前進するのであって、心と体の行動が分かれるところに天国はできません。

カテゴリー:今週の説教 - 16/03/02掲載
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