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今週の説教

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説教(11月27日)

■題目:氏族メシヤ勝利

■説教者:和田康伸 教区長

■御言訓読:原理講論(P87L10)

霊人体の構成とその機能

このように、霊人体に感じられるすべての霊的な事実は、そのまま肉身に共鳴され、生理的現象として現れるので、人間はすべての霊的な事実を肉身の五官で感じて分かるようになる。

生霊体を完成した人間が地上天国を実現して生活したのち、肉身を脱いで霊人として行って生活する所が、すなわち天上天国である。それゆえに、地上天国が先に実現したのち、初めて天上天国も実現できるのである。

■説教内容

物事を正しく認識することは難しいことです。目に見えぬことに対する認識については、なおさら難しいです。例えば共産主義に対する認識について、20年前のことですが、共産主義はもう終わったのでこれからは徐々に平和な世界になっていくと思いました。

しかし、今では決して楽観できないと感じます。共産党と言えば中国が代表格ですが、その中国は軍事力に力を入れています。あと数年もすればアメリカに肩を並べると言われ、平和社会を脅かす存在になっています。そしてもう一方で恐れる存在として、文化共産主義というのがあります。これは目に見えぬ共産主義です。

文化共産主義というのは、武力の戦いは放棄したが、思想において共産主義的世界を作っていこうということです。そしてそのために努力し続けている人々がいます。

そしてジェンダーフリーに基づく男女共同参画、選択的夫婦別姓、こども手当て等もその思想が背景にあります。国が直接子供の面倒を見ようという思想です。そして、子供園構想は24時間いつでも子供を預けられる施設を目指しているようですが、預けられる子供にとってはそれが本当に良い環境なのでしょうか?

目に見えぬ文化共産主義の思想は家庭崩壊の思想です。我々にとって家庭こそ神様が地上に降り立つ基盤です。正しくこれらを見抜いて、闘うべきは闘っていかなければなりません。語り、行動しなければなりません。

待っていては、地上天国は出来ません。天一国創建の状況もはっきりとは目に見えません。果たしてその歩みが進んでいるのかどうか、しっかり認識する必要があります。

文鮮明先生は90歳を超えても限界を超えてみ旨のために精誠を尽くしていらっしゃいます。もっとも切実で深刻な心情を持っていらっしゃいます。私達も子女の立場で同じ心情で摂理を進めていかなければなりません。

原理講論の中には、地上天国が出来なければ天上天国は出来ないと書かれています。地上で天国を体験せずしては天上でも天国生活を体験できないと言うことです。地上天国を実現できる実感はありますか?まだまだやるべきことが多くあります。悲観はしませんが、楽観視は出来ません。今の時と使命を正しく認識すべきです。

先日、氏族メシヤ活動強化の指示がなされました。氏族を中心に知人友人を祝福まで導くと言う内容です。氏族メシヤの出発は人生の一番大きな転換期でしょう。私たち自身にメシヤという名前がつけられると言うことは考えもしなかったことでした。私が救世主?とたじろいだ思い出があります。

我々が今IDカードをつけるとしたら、「氏族メシヤ○○○○」とつけることになります。氏族メシヤの称号を与えられているのです。自覚はどうでしょうか。与えられた内容はあまりにも大きく尊いものです。私達が導かれてきた背景を考えれば、氏族的な功労、条件なくしては導かれないのです。間違いないのは氏族の代表者として導かれてこの場に居るということです。

アダムの家庭ではカインとアベルの兄弟間において、カインがいろいろな経験を積んでいたでしょうから、カインを中心として摂理を展開できていたならば、カインとアベルはもっと一体化しやすかったでしょう。

しかし、そうではありませんでした。サタンは長子であるカインを取りました。神様は次子であるアベルを取らざるを得ませんでした。神様はいつも清くて弱くて影響力の無い者を取らざるを得ませんでした。尻尾の者を取らざるを得なかったのです。

ヤコブもそうでした。その兄はエサウでした。エサウは小さい頃から毛深くヤコブはすべすべと言う際立った違いがありました。エサウは大人になって、巧みな狩猟者としてとても活動的に動いていたと思われます。ヤコブは穏やかで天幕に住んでいたと書かれています。仕事は何だったか書かれていません。

エサウはとても能力的に優れていたことでしょう。一方ヤコブはおとなしくて優しく、あまり活動的とは言えなかったのだと思います。親族に対する影響力もエサウが圧倒的に強かったのではないでしょうか。ヤコブが20年間の苦労の後にハランから帰って来るときにエサウは400人の親族を集めて待ちかまえていたほどです。

しかし神様は弱いヤコブを摂理の中心として定めたのです。神様は弱いものを取っていくしかなかったのです。しかし結果的にはヤコブはみごとに勝利しました。ヤコブはエサウを屈服させてメシヤを迎えるための基台を作りました。サタン屈服の典型路程として、その後モーセもイエス様もその路程を見本としました。
私達も学ぶところが多いのです。ヤコブをよく研究しなければなりません。ヤコブが勝利できた1つ目の要因は、神が私と共にあると言う絶対的確信です。ヤコブはとても苦労しましたがべテルで神様と出会いました。私は必ずあなたと共に居てあなたを守ってあなたを生きてこの地に再び帰させる。その様に神様はおっしゃいました。

そこでヤコブはこれから得るすべての物の十分の一を神様にお捧げしますという約束をします。それが今日の私達の十分の一条の出発点となりました。ヤコブは寝る所も無いほど苦労しました。まさにハラン苦役だったのです。しかし神様との約束と神様が共にあるという絶対的な確信があったからこそヤコブは支えられて勝利できました。

皆さんが窮地に追い込まれたときに神様は必ず皆さんを守り導いてくださいます。その神様の手をしっかりと握りながら歩むことが信仰生活、氏族メシヤ活動に於いてとても重要です。

そしてヤコブの路程に学ぶ2つ目は、勝利に対する執念です。彼は決してあきらめず落胆しない人物でした。例え場面、場面で失敗したように見えたり、落胆するようなことがあったとしても、勝利を信じ続けたのです。執念を持ち続けたのです。これがサタンの一番嫌いな性格です。

ヤコブは天使と組み討ちをしました。相撲ならば大関と小学生が戦うような場面だったでしょう。普通ならヤコブはすぐに負けていたでしょう。ヤコブは天使に腰骨まで砕かれたのですから、もしも勝利の執念が無かったらギブアップしていたでしょう。しかしあきらめなかったので最後には勝利しました。強い決意を持って歩むことが必要です。

そして3つ目は彼の智恵深さに学びたいと思います。ヤコブはどうしたらエサウに殺されずに愛で屈服できるかを考えました。ヤコブはエサウに財物をすべて与えました。しかもその方法も工夫して複数回に分けて使いを送りました。

もし万が一の事を考えてエサウの恨みが解けなかった時の為に最も心情的に近いラケルと摂理的使命のあるヨセフを最後に置きました。そして前日に腰骨を砕かれたヤコブ自身は一番先頭に立って進んでいったのです。死を決意してエサウのもとに進んでいったのです。

結果的にエサウはヤコブを受け入れましたが、そこに至るまでにヤコブは良く考えて智恵をめぐらせて行動しました。最高の危機管理をしていたのです。特に皆さんが弱い立場に立っていると感じるならばヤコブの路程を手本として学ばなければなりません。そしてヤコブに学んで摂理を進めていかなければなりません。

神が共に居てくださるという確信、勝利に対する執念、知恵を持って事を進めていく事が重要です。今日我々は文鮮明先生ご夫妻の大きな勝利圏の中に抱かれては、いますがその闘いを進めていく上ではヤコブに学んでいくことが必要です。

最後のD-Dayを迎えるにあたり、楽観することなく、悲観しすぎることなく、神様が見つめる観点から摂理を捉え、私達の責任をしっかり果たして喜びと希望の中で天一国創建を迎えましょう。

カテゴリー:今週の説教 - 11/11/30掲載

説教(11月20日)

■題目:天一国創建と氏族的メシヤ使命

■説教者:徐 辰泰 副教会長

■御言訓読:真のご父母様の特別指示

1.黄善祖を中心とする宗族的メシア圏と第1、第2、第3イスラエル圏の昇華式を今年10月から12月31日までに終えて、祝福3日行事と蕩減棒儀式も完了するのであり、そこには、韓国が神様の祖国と故郷であり、真のご父母様の国であるために、韓国の全国民を参与させなければなりません。

2.分封王と平和大使の責任を受けた人達は、全世界的に霊界‐肉界の祝福式を同時にD-dayまでに完了しなければなりません。

3.真のご父母様を中心として、アダム‐エバから、文氏氏族、分封王と平和大使達、各国の大統領と国会指導者達を包括させて、本然の血統圏の先祖達と天の血族親族になる祝福を受けた人達が、全体‐全般‐全権‐全能の一体圏を完成しなければなりません。

4.今から60年前の10月14日、その日を起点として、蕩減復帰される60年後の天一国10年天暦10月14日、15日、16日の三日間に真の父母様の宣布記録に一致した、真の父母様のD-dayまで、宣布期間を最終段階として、全体・完成・完結・完了する宣布大会が、今日17日であるのです。

5.今回の天地人真の父母定着実体み言宣布大会であるワシントン‐ニューヨーク大会とラスベガス‐フーバーダム大会、そして、神様の祖国と故郷になる韓国‐ソウル大会は、摂理の最終的な完成‐完結‐完了を意味する真の父母様の宣布内容です。この使命は、真の父母様が決定した2年1ヶ月余りを残す、D-dayまでに完了しなければなりません。

6.そうして、真のご父母様が誕生した韓国が神様の祖国と故郷として、完成・完結・完了されるのです。神様の祖国と故郷である韓国(南北)政府を代表する李明博大統領を中心として、カイン圏UNとアベル圏UNの大統領格であるジョージ・ブッシュ前米国大統領とオバマ大統領、G20に参席した全ての大統領達と国民が、ひとつになって、この大会の成功の為に真のご父母様の天命に従って、完成・完結・完了的勝利を奉献しなければなりません。万一、参席できない者達は、真のご父母様が代身選出して、完成させるでしょう。

■説教内容

(1)天一国創建の絶対価値(基準)

1)平和:水平・和合
 “平和の平は水平の意味です。この平がない場合は、和となったとしてもその和合はすぐなくなるのです” (1970.9.13)

2)統一:二人が一つになること
 「神人愛 一体理想」(家庭盟誓⑧)

(2)東西統一・南北統一
“縦的な南北統一と横的な東西統一が成し遂げられて、世界問題が全て解決されるのです”(1986.5.6)

“韓国は南北だけをする。日本は東西南北全体を統一しなければならない“(1998.3.28)

(3)東西統一

1)東西問題:政治イデオロギー対立

2)共産主義と民主主義

3)左翼(Left-Wing)と右翼(Right-Wing)

4)東独(ドイツ民主共和国)と西独(ドイツ連邦共和国)

(4)東西冷戦体制と独逸統一

1)東西独分断(1949)

2)ソウルオリンピック・世界統一国開天日宣布(1988)

3)ベルリン障壁撤去(1989.11.9)

4)文鮮明・ゴルバチョフ会談(1990.4.11)

5)東・西独統一宣言(1990.10.3)

6)ソビエト連邦(USSR)終焉(1991.12.25)

(5)南北統一

1)南北問題:経済的貧富の差

2)先進国と開発途上国(第三世界)

3)韓 国:₩2400万 北朝鮮:₩ 124万
   (2010年、一人当国民総所得GNI)

(6)南北分断の歴史

1)南北分断(1948)

2)6.25南北戦争(1950)

3)南北総理会談(1990)

4)南北UN同時加入(1991)

5)文鮮明・金日成会談(1991.12.6)

(7)文鮮明・金日成会談20周年

「2011平和週間宣布式」陽10.26(水)鮮文大

平和週間 10/26~12/26(40日間)

(8)南北統一実現

1)南北統一は真の愛で

2)平和自動車(2002)

3)定州市小麦粉300t支援(2011.11.14)

4)韓国、日本、米国、中国、ロシア

(9)天一国創建は再創造摂理

1)神様の責任(95%)+人間の責任(5%)

2)神様は夜の神様と昼の神様

3)神様の責任分担は完成・完結・完了

4)再創造の主人は私と私達の家庭

(10)天一国主人としての責任

1)理想家庭完成:天地人父母になろう

2)氏族メシヤ使命:統班撃破を完成しよう

3)教育:訓読会とみ言を宣布しよう

4)所有権を転換しよう

(11)天地人真の父母様特別指示

<氏族的メシヤ活動強化>

1)伝道対象:親族・氏族、および知人・友人、平和大使など

2)活動期間:2013年 天一国基元節まで

3)活動方法:伝道対象者を伝道・教育し、祝福を受けさせ、3日行事を完了するようにして、食口化する。

“2013年基元節まで全ての統一家の食口達は氏族復帰の為に伝道に専念しなさい”<10月7日(陽11/2)>

カテゴリー:今週の説教 - 11/11/24掲載

説教(11月13日)

■題目:天一国創建の決意

■説教者:和田康伸 教区長

■御言訓読:ルカによる福音書(第15章11節~32節)

また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。
ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。

それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。
何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。

そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。
彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。
そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。

立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。
もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。

そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。
むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。

しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。
また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。

このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。
ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。

僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。
兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。

それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました』。
すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。

しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。

■説教内容

今日の訓読はルカによる福音書の放蕩息子の話です。聖書の中では有名な話です。私は福音書を読む時に本当にイエス様は神様の事をいろいろな例えを使って分かりやすく私達に教えて下さったと思います。

皆さんご存知のようにイエス様がこの地上に来られた時はもう2000年も前の事です。私達は原理を通して6000年前に人類歴史が始まったという歴史観にたっていますから、2000年前と言ってもそれ程昔だという感覚がないですが実際の歴史、例えば日本の歴史で2000年前に何が起こったかと考えてみても分かりません。

なぜならばどんな状態であったかという事も分からない時代なのです。中国の魏志倭人伝を見てみると3世紀~4世紀頃に日本はいくつかの国に分かれて闘っていたと書かれていますが、紀元前後の事に関しては一切分かりません。

また日本には言葉もありませんでした。ですから2000年前に日本がどういう時代であったか分かる人はいないのです。それ程昔の事です。それ程昔の時代に目に見えない神様を人々に教えるというのはどれ程難しかったでしょうか。その難しい事に対してイエス様は分かりやすい例えで神様の事を紹介して下さいました。
この放蕩息子の話、また100匹の羊の話があります。99匹は羊飼いについていった。しかし1匹だけ迷ってしまった。その場合羊飼いはどうすると思うかと聞かれるのです。羊飼いは99匹を山に残しておいて迷い出たその1匹を探し出しに行くのであると書かれています。

このような平易な、分かりやすい例え話を通して神様がどういう方であるかという事を私達に分かりやすく教えて下さいました。従って私達が聖書を読む時に、この放蕩息子の話を読む時に、本当に神様は私達の親として大きな広い心で私達を受け入れて下さるのだと、その神様の無限の愛というものについて、この放蕩息子の話を通して私達はその世界を知る事が出来ます。今日は一時の時間を通して親である神様という事について少し原理的な観点からお話しをしてみたいと思います。

皆さんご存知のように統一原理では「神様は私達の親であり、私達は神様の子供である」と書かれています。この神様と私たち人間の間に結ばれた親と子供という心情の因縁、父子の心情の因縁が神様の創造理想の原則の一番中核となったという事であります。

この神様と人間が親子であるというその原則を中心として神様の創造の御業が展開されてきたという事を私達は学びました。従ってこの神様と人間が親子であるという事実は統一原理の最も確信、最も本質であると言っても過言ではありません。

私達が統一原理を学ぶ時、直接的には神様の事はどこで書かれているかと言うと、第一章の創造原理の第一節「神の二性性相と被造世界」で語られています。ですから私達が原理を学ぶ時に最初に神様が親で私達がその子供であるという事が出てきます。

実際に文鮮明先生の自叙伝を読んでみると、その事実を発見したのは文先生が9年間にわたる真理探求の最後の段階で初めて悟らされた内容であったとあります。今まで文先生が、神様と人間が親と子供の関係であると悟ったのは真理探究の比較的早い段階で悟ったのかと個人的に思っていました。

しかし自叙伝を読んで、親と子供の関係であると悟ったのは一番最後であると初めて知りました。自叙伝にはこのように書かれています。

=「平和を愛する世界人として」(P88 L5~P89 L2)=

”日本留学を終えて祖国に帰ってきたものの、それまでと何も変わるところがありませんでした。日本の圧政は日々激しくなり、国土は血の涙に濡れていました。私はソウルの黒石洞に再び腰を落ち着けて、明水台イエス教会に通いながら、日々新たに悟るすべての内容を几帳面に日記帳に書き留めることにしました。悟りの多い日は、一日で一冊の日記帳を使い切ることもありました。

そうするうちに、数年にわたる祈祷と真理探究の総決算とも言うべく、それまでどうしても解けなかった疑問についに答えを得たのです。それは一瞬の出来事でした。あたかも火の塊が私の体を通り抜けたかのようでした。
「神様と私たちは父と子の関係である。それゆえ、神様は人類の苦痛をご覧になって、あのように悲しんでいらっしゃるのだ」
という悟りを得た瞬間、宇宙のあらゆる秘密が解かれました。

人類が神様の命令に背いて、堕落の道を歩む中で起こったすべての出来事が、映写機が回るように私の目の前にはっきりと広がりました。目から熱い涙がとめどなく流れ落ちました。私はひざまずいてひれ伏したまま、容易に起き上がることができませんでした。子供の頃、父に背負われて家に帰った日のように、神様の膝に顔を伏せて涙を流したのです。イエス様に出会って九年目にして、ようやく父の真の愛に目覚めたのでした。”

イエス様に出会って9年目、真理探究の最後の段階で初めて文先生は神様と人間が親と子供の関係である事を悟ったというのであります。そしてその瞬間にアダムの家庭から始まる人類の歴史がお父様の目の前にパッと広がって、その長い歴史をどのようにして神様が見つめてこられたのか、その歴史の全容が映し出された時に、涙を留める事が出来なかったという事であります。

従ってこのような事を考えてみる時に私達が親なる神様を正しく知るという事がこの人類歴史の全ての問題を解決する、その鍵を握っているという事を知る事が出来るし、それは同時に私達の個人の人生問題においても、その人生の様々な問題を解こうとする時に、その全ての鍵を握るのがこの一点にあるという事です。
私達がもし神様の心情や事情、愛というものをよく理解する事が出来たなら、私達は人生の全ての問題のみならず、社会の抱える問題、歴史の問題の全ても解決する事が出来ると考えます。天から与えられた命題というものを私達は日々の信仰生活を通していつも確認しながら親と子の関係を日々深めていく事が信仰生活にとって極めて重要である事を理解しなければなりません。

さて、このようにして聖書の記述では放蕩息子を本当に心から歓迎してくれたお父さん、帰ってくるまでどれ程悲しくて辛い日を送った事でしょうか。おそらくこのお父さんは毎夜毎夜、枕を熱い涙で濡らして夜休んだに違いありません。私達はこの原理を通して父親というものについて考えてみる必要があります。

統一原理では創造本然の人間の価値はどういうものであるかという事を3つの形で表現されています。キリスト論の中には、創造本然の人間は神的価値を持っていると書かれています。すなわち価値において私たち人間は神様と等しい価値を持っているという事です。一人一人が神様と同じ価値を持っていると原理では書かれています。

そしていま一つ創造本然の人間は唯一無二の価値を持っていると書かれています。皆さんもご存知のように先日、世界の人口が70億に達しました。私達は70億人の中の一人にしかすぎません。時には自分に自信がなくなってしまって希望が薄れてくると何のために生きているのかと思う事があります。

自分一人ぐらいいなくなっても良いのではないかと思う事があるかもしれません。自分の価値が見失われてしまう事もあります。しかし、原理では唯一無二の価値があるというのです。他の何者にも変えられない唯一無二の価値を持っているのが私達人間なのです。素晴らしい価値を持っていると言われています。そしていま一つ創造本然の人間は天宙的価値を持っていると書かれています。

以前、日本でハイジャック事件が起こりました。ヨド号事件です。彼らは自分達の仲間の釈放とお金を要求しました。もし受け入れなければみんな殺すと言いました。非常に難しい判断です。

当時の福田首相は結局犯人の要求を受け入れ人質を解放する道をとりました。その時に福田首相は「人一人の命は地球よりも重い」と言いました。この言葉を聞いてそんな事はないと言う人はいないと思います。人間の命は尊いのだと思ったに違いありません。

しかし原理では、地球もそうですけど天宙的価値を持っている、地上世界のみならず目に見えない世界まで、神様が創造して下さった全被造世界に匹敵する価値を持っている、従って私がいなければこの被造世界も神様にとって無味乾燥な世界になってしまいます。

原理では創造本然の人間の価値を、神的にして、唯一無二にして、天宙的な価値を持っているのです。神様はそういう立場で私達に命を与えて下さったのです。うれしくなる感じがします。もし人間が堕落しないで創造本然の人間であったならその親なる神様はどれだけうれしいでしょうか。

顔を見る度に、声を聞く度に笑いが止まらない、それが神様なのです。それが創造本然の世界における神様の毎日の生活です。天の玉座にお座りになって人間世界を見ながら毎日笑っている生活です。その世界を願って神様は人間を中心とした被造世界を創造されました。

しかし、人間は堕落してしまいました。それがどれ程ショックだったでしょうか。聖書を読むと堕落した後のアダムとエバは神様と顔を合わせる事を恐れ、木の陰に身を隠すのです。しかし神様はそのアダムとエバを訪ねて来られ話しかけるのです。その時、神様は歩くのも精一杯の状態で、ヨロヨロしながら振り絞って声をかけた神様でありました。

堕落する事によって本然の人間とは似ても似つかない姿となってしまいました。今の私達はどういう姿なのでしょうか。復帰原理を見ると、私という人間は蕩減復帰摂理歴史の所産であると書かれています。蕩減復帰摂理歴史そのものが罪悪歴史ですので、罪悪歴史の結実体です。全身全霊汚れた立場で生まれて歩んできた事を残念ながら認めざるを得ません。私達に自分の姿が見えなかったとしても神様が私達の姿を見る時にどれ程汚れた姿に映っているでしょうか。

韓国の清平修練苑に皆さん行かれますか?役事をします。体をたたくのが最初よく分かりませんでした。しかし何回か役事をする中で、本当に役事を通して自分の中から恨霊が出ていくのが分かるようになります。どこに隠れていたのかよく出てきます。どれ程多くの恨霊が私達の中にいるのでしょうか。

みんな霊的にはそういう立場です。6000年の罪悪歴史の結実、神様の目から見てみたらとても見る事が出来ない姿になってしまいました。本然の人間と親子の関係を結んでいく神様はとても喜びと希望の世界だったに違いありません。しかしその人間自身が堕落して汚れた姿となれはて、具体的な生活、具体的な人生の営みを考えれば多くの不信仰を犯していくその人間と親と子の契りを結んで神様が歩んでこられるという事は神様にとっても簡単ではなかったのではないでしょうか。

ある森山先生の証しを思い出します。感動的なのは紙芝居の話です。紙芝居は1回5円だそうです。紙芝居は良い所で終わり帰ってしまいます。次回見たいという一心で継母の財布からお金を盗んでしまったそうです。ある夜、目を覚ますと、継母は泣いていました。そして火鉢で「操が悪いのではなく、この手が悪いのだ」と言って、子供の手をたたくのではなく自分の手をたたいて泣いていたのです。

その光景をみて初めてお母さんと呼ぶ事が出来るようになったのです。子供の犯した罪を人の罪に思うのではなくて、親の立場からすればそれは自分の罪と同じように感じられるのです。子供が罪を背負っているとすればその罪を親も背負うという事なのです。親と子供が一身一体の立場で罪を背負うという世界なのです。

堕落した世界では人間がサングラスをかけないと見れないような姿になったとしても、神様が親であるという観点から見れば目を背ける事も、捨て去る事もできませんでした。そういう汚れた子供を自らの汚れとして受け止めながら、その子供と運命を共にしてこられた神様であったという事を知る事ができます。神様は本来的には喜びの世界を願って創造されました。

しかし人間が堕落した事によってこの地上世界も霊界も全てサタンが主管する罪悪世界となって、被造世界は悲劇の劇場となりました。個人から始まって家庭、氏族、民族、国家に至るまで神様の目の前で多くの悲劇が繰り返されてきました。その悲劇を決して遠い所から見つめていたのではなくて、親と子供という心情の因縁の故に全ての悲劇の中心に立ってきたのが親である神様でありました。

繰り返してきた多くの悲劇の中で、たくさんの先人達が涙を流し汗を流し血を流してきました。その時々において神様も同じように涙を流し汗を流し血を流して先人達と全ての歩みを共にしてこられました。2000年前十字架でイエス様が亡くなられました。その姿はどれ程悲惨だったか想像してみて下さい。

頭に茨の冠を被せられ、体中殴られ蹴られムチで打たれ全身が傷で腫れていました。両手両足わき腹から血を流されながら33年間の短い生涯を十字架上で終わっていかれました。どれ程悲惨だったでしょうか。イエス様の悲惨な姿は、イエス様の難しかった33年間を象徴する姿でした。

その姿は先人達の行かなければならない人生を象徴するものであり、さらに神様ご自身の姿でありました。アダムとエバが堕落してから今日まであの姿で長い歴史を歩んでこられました。どれ程申し訳ない立場でありましょうか。私達はまだまだ神様の本当に深い心を知らずに歩んでいる事が多いのかもしれません。お父様は神様の心情の深いところまでご存知です。いつも神様を慰めながら歩んでこられたのです。私達が人生の問題にぶつかる時、全ての問題の解決は神様の心情と事情を正しく知る所から解決が出て来ます。

放蕩息子の話でも、息子が帰ってきた時、非難する心があったのが当然の事でした。しかし父親の行為には攻める心も避難する心もありませんでした。父親にすれば息子の放蕩は息子の放蕩ではなく自分の放蕩のように感じられていました。だから父の心の中には非難がなかった、これが親の世界なのです。

私たちを見つめてこられた神様もそうだったのだと思います。別々ではなく一体であるという立場で私たちを訪ねてこられる神様です。神様の心情の世界、愛の世界を私達は多く知らないでいるのかもしれません。深い世界を知れば慟哭せざるを得ない、涙をとどめる事ができない私達ではないでしょうか。

文先生が親と子供の関係を知った時、泣き続けたのです。私達は本当に今親孝行したいと思います。歩んで来た道は決して簡単ではありませんでした。日本統一教会創立52周年を迎えましたが、多くの非難を受け、多くの批判を受け、迫害も受けてきました。4300名もの教会員達が拉致監禁されました。解放されても心の傷が深く廃人同様になって日常生活が難しくなった教会員もいます。

本当に難しい道のりを歩んできました。その道は神様に親孝行していく道、神様に親孝行したい心情が統一教会員の持つべき心情です。実体的にその道を行かれる文鮮明先生に親孝行してさしあげたいという思いでこの時を越えて行かなければなりません。

文先生は足が痛い中で必死に歩まれています。痛みをかかえながら歩むのは大変な事です。疲れを見せず歩まれる先生は年を取られました。いつまでも親に甘えてはいけない、親孝行するのは今しかないと思います。

そういう心情を持つ者が天一国創建の中心的な存在となっていくのだと思います。神様の事を思えば、もっと苦労させて下さいという思いで復帰の道を歩んで行く、毎日を生活していく私達でなければなりません。神様の心情、事情を知る事が私達の個人のかかえる問題、今の摂理を勝利的に打開する道も、そこからうまれてくると考えています。

新しい一週間、一人一人が孝行息子、娘としての歩みとなることを願います。

カテゴリー:今週の説教 - 11/11/17掲載

説教(11月6日)

■宋 総会長 原理大復興会

■説教内容

最初に、文鮮明先生ご夫妻に敬礼を捧げました。今日、初めて教会に来られた方々に、敬礼を捧げたその意味をお伝えしようと思います。

神様が、宇宙を創造し、最後に人間、アダムとエバを創造されました。人間が神様の息子娘になり、そして、神様は、人間の父母になることを願われていました。このように神様は、宇宙を創造された目的を持っていました。

しかし、アダムとエバが堕落することにより、可哀そうな神様になりました。そうして、宗教を通して、人間が本来の位置に戻ってくることを願われました。根本を求め、親孝行をすること、これを教えているのが宗教です。

神様を中心に、四位基台をなすために、父母となり、無形の神様が臨在できる家となることを願われたのがアダムとエバでしたが、神様の家が無くなってしまいました。その家を取り戻すために、2000年前に、イエス様が来られました。

しかし、十字架により、神様の家を再び失いました。そうして、三番目に、再臨のメシヤによって、責任分担が果たされ、父母を迎えることができるようになったのです。人類史上初めて、神様の願いである四位基台を果たしてくださり、夜の神様と昼の神様が一つになり、神様を解放し、神様が臨在することができる聖殿になりました。このような意味がありますので、はじめに敬礼を捧げました。人類史上初めての神様の家なのです。

次に、敬拝後、家庭盟誓を、韓国語で唱和しました。本来、神様は、イエスキリストと、第一イスラエル民族を通して神のみ旨を果たすことを願いました。しかし、それが成されず、第二イスラエルとして、キリスト教を立て、そして、韓国の地に、再臨主を送る準備をし、天国の言葉を創りたいと思いました。そこで、朝鮮王朝時代、世宗王によりハングルはつくられ、天国の言葉がつくられます。

今日の説教に入ります。
尊敬する全国の教会員の皆様、生きること死ぬこと、罰を受けること、人が、その興亡盛衰に干渉することができるでしょうか?全てのことは、神様が主管者であられます。

創造原理では、神様の責任分担は95%で、人間の責任分担は5%とされています。無形の神様の実体になり、永遠の神様の息子であり、相続者となるはずでした。地上生活は、神様の愛、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛を合わせた愛を体恤する場です。

心情的に、神様の愛を体恤することが人生の目的です。お母さんのお腹の中で、10か月生活し、その後、胎盤を切り捨てて地上に出てきます。産まれて30才位までに、子女の愛を30才-40才位までに夫婦の愛を40才-50才位で、父母の愛を確立していきます。

水中生活が母の腹中時代であり、その後、空気の生活が地上生活になり、最後に愛の訓練を受けて、完成すれば、愛中時代、愛の中で生きるのが天国生活です。そうして、完成した霊人体と肉体が分離され死を迎えます。

この地上にあることは、霊界、天国にはすべて存在します。地上生活は霊界の影のような存在です。例えば、私が、パソコンでサンフランスコを見たいと思えば、サンフランシスコが出てきます。これは、霊界の在り様を現しています。

全て、地上にあるものは霊界に存在します。しかし、これは天国に行った時の話です。地獄ではだめです。なぜ、我々はそれを知らないのでしょうか?霊界、神様を知らないまま生活しているからです。神様を信じない人に聞いてみたいのですが、もし、全て自然にできたとするなら、とても大変です。例えば、世界70億人類の中で、目が4つある人がいますか?完全に、神様の設計によって創られているのです。

地上での愛の訓練が終わり、生霊体になれば、天国の良いところに行きます。まだ、実っていない栗は不良品です。ゴミ箱に捨てられます。結婚していない人は、お父さん、お母さんに成れません。

昇華は、きれいな花を準備します。昇華は、最高のお祝いです。結婚式のお祝いには行かなくても、亡くなった時には行ったほうが良いです。全部、霊界から見ています。後に霊界で、なぜ来なかったかと叱られてしまいます。

何も持たないで生まれ、何も無いまま死にます。何も持って行けないのです。実った霊人体だけが霊界へ行くのです。人間の生死は神様だけが主管することができます。ですから、自殺する人は、罪の中で一番重い罪になります。

神様に忠孝烈の精誠を果たせば喜びをお返しできます。神様を喜ばせることは、神様の愛を占領し、神様の聖殿になるのです。神様の願われることをしなければいけません。反対の道を行けば滅びます。神様が主管され天地人真の父母定着実体み言葉宣布をされたことにより、2000年前のイエス様が十字架で、果たすことができなかったことを、文先生ご夫妻によって完成されました。

日本ほど、先祖に侍る国はありません。しかし、本当の先祖は神様です。先祖の先祖は神様です。そのことが判り、神様に誰よりも侍れば、母の国、女王の国として勝利します。日本ほど美しい国はないのです。

これからの我々の歩む姿勢は、1億5千万全ての日本人が、神様を先祖の中の先祖として侍ることです。神様に、ありがとうございますと感謝いたしましょう。顔に目があり鼻があることに、神様、ありがとうございます。ご苦労様です、おめでとうございます。と感謝しましょう。

興亡盛衰を主管される神様に、関心を持てば天運がきます。感謝の言葉を、神様に伝えれば通じます。日本の運命が変わるでしょう。神様が、皆さんに惚れると思います。ご苦労様でした。おめでとうございます。これを聞いてくれないでしょうか?よろしくお願いすれば、神様は、ちゃんと願いを叶えてくれるので、この内容を説明しました。

これが、母の国として、行くべき道なのです。全ての教会員、伝道の前線に出ていくことを期待しています。一日を千年のごとくに過ごして下さい。前進、発展する道は、天の神様を信じることです。全国民をそのように導いてくれるように願います。
私の話を理解していただいたことに感謝して、説教を終わります。ありがとうございました。

カテゴリー:今週の説教 - 11/11/10掲載

説教(10月30日)

■題目:私を見たものは神を見たものである

■説教者:横井捷子 先生

■御言訓読:マタイによる福音書(第5章48節)

それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

■説教内容

1963年6月6日が私の入教日になります。石井元会長が、断食をしながら講義をしてくださり伝道されました。”全てを知って立ち上がれ”などの本を見ながら講義を受けました。その後、10日間の修練会に参加するよう進められ、当時、仕事をしていたので、10日間も休みを取ることは簡単な事ではありませんでした。

この内容は、人間であったら誰でも聞かないといけない内容であると言われていて、では、他の人はどうするのですかと尋ねると、この話を聞くにも順番があると言われました。参加することによって何か変わるのではないか。何か変化をもたらすに違いないと思い参加しました。

まず、最初は100%、一方的に原理講義を聴いてください。と言われ耳で一通り聞きました。
次の3日間は書くことに専念し、講義内容を深く理解することができました。
特に、メシヤ論と同時性に感動しました。今まで自分が井の中の蛙だったと感じさせられました。父親との関係もとても良好で、心情がともて近かったですし、母親とも、いつも一緒にいて、何の苦労も知らずに育ってきた私でした。

そんな私でしたので、今まで、何も知らなかったことへの悔い改めをしました。もし、2000年前に、イエス様に私を見たものは神を見たものであると言われる場面に居合わせたなら、私は、こう思ったでしょう。メシヤであるなら、どうして自分を救うことができないのか?と。

それまで信仰を持っていた仏教では、死ぬ時にその人の一生を振り返ることができると言われます。死ぬ時がとても重要で、イエス様に対して、何が救い主かと、思ったに違いありません。そう思うと、自分自身が、イエス様を十字架に追いやった張本人であることを悟り、とても悔い改めさせられました。

同時性の講義は、生きた神様がこんなに身近にいらっしゃり、今も生きて働いていることを実感しました。歴史を通して、実証してくださることに感動しました。
多くの教会員は、3年で、地上に天国ができると信じていましたが、私は、そうは考えず、その時から37年後の2000年までに、一人でも多く、神様を伝えないといけないと感じたのです。

最後の3日間は、心で聞かないといけないと言われて、路傍に出ての伝道活動でした。伝道活動は、白い垂れ幕を掛けて、新宿の西口で叫んでいたので、到底、自分で実行できることではないと思っていました。そんな私が、一人でも多くの人に伝えるためにはどうしたらよいだろうか?と考えるようになり、全国に、全世界にメシヤは来られていると伝えたい。そんな気持ちに変わってきたのです。

昔、終戦直後、ビラを空中からばら撒いて、終戦を全ての人に知らせたように、メシヤを伝えないといけないと思うように変わってきたのです。自分が気違いのようになり、伝道を始めるようになりました。
10日間での修練会により、自分という神殿が崩されてしまったようでした。それまでは弱かった自分でしたが、霊肉共に完全に変わってしまいました。

何のために生まれて来て、何のために生きなければいけないのか?それまでは、人から良い人と言われるほど、偽善者ではないかと、信仰をもてば持つほど葛藤しました。手当たり次第、霊界の本を読んだり、悩んだり、生まれながらにもっている自分の性格など、自分のことで悩み、泣いていました。

小学校二年の時に、そのように悩んでいたので、姉から薦められて、菊池寛全集などを読んでみたりもしました。そうして、感じていたことは、いつ死が訪れても、何の悔いもない人生を送りたいと言うことです。全ての人が幸せになれる世界にならないといけない。と結論付けるようになり、ある人は、それは共産主義です。言いました。

そのように悩んでいるとき、仏教の信仰を持った人が、私の家に尋ねて来ました。母は体が悪かったので、一緒に付き添って行きました。帰宅後は、二人で毎日30分のお経を読み、熱心に信仰を持つようになりました。6年生の頃は、日曜日に、3時半に起床し、中野駅や新宿駅の掃除をする当番をしました。

それでも、一生懸命やればやるほど、自分の根っこにある罪、偽善の思いが強くなりました。人間とはなんぞやと言う疑問を持ち、学校の先生に問うように、また思いを伝えたりしました。その先生の答えは、人間はあり地獄、いくらあがいても地獄にいくと言うものでした。そうして、これからどのように生きなければいけなのか?と悩みました。

私自身の幸せのために生きていくことはできない。誰かのために生きることによって、私の存在価値があるということを感じるようになりました。そうした想いを抱きながら、何年か過ぎて、石井さんと出会うことができるようになったのです。

どのような人格を持つべきなのか?理想世界、人格完成になるか?それらの思いに明確な回答がありませんでした。それらの問題を原理が全て解決してくれたのです。
また、どうしても解くことのできない問題に、愛の問題がありました。どこかに私にふさわしい人かいると思いつつ、ただ生きて行くことはとても罪だと思われるようになり、睡眠薬を飲んで、死んでしまおうとも思いました。

その愛の問題を解決するために、文鮮明先生は、祝福を与えてくださったのです。あなたは、生まれて良かったと言ってあげられる親になれなければ、結婚することができないと感じていたからです。その人生を変える力は、信仰でなければいけないと思っていました。

堕落人間には、創造本然の世界のことを一言も言うことができません。2000年前のイエス様以外に言えませんでした。それは、天から来られた人しか言えないのです。そのことを、チェコで共産党に尽くしていた教会員から悟りました。

その教会員は原理で、イエス様は、十字架にかかるべきではないと言うことを学習し、そのようなことを言える人は、再臨のメシヤしかいないと言われました。日本に寄った際、その証をしてくれました。

本当に原理は、語れば語るほど、その価値を理解することができますが、原理の中で堕落論は、どうしてもピンときませんでした。そして、二人の男性の伝道対象者が現れるようになりそのことを通して、エバであること自体が、罪であることを理解しました。私たちが存在するだけで、どれだけ罪を犯していたのか?
あまり罪のことがわかりませんでしたが、エバの存在そのものが罪であり、ぬぐってもぬぐいきれない深い罪であることを悟りました。

それまでは、文先生対する考えは、大々先生と言うイメージでした。文先生を自分の父とは思えないでいました。それでも、泥だらけの犬が抱きついてきたら、主人は、無条件に抱きかかえるように、文先生は、私を包み込んでくださる。そのように、罪を理解することにより感じることが出来るようになりました。

霊的には、いつもすぐそばにいらっしゃると感じることが出来るようになり、息をしてみても、今日はこんなことが遇った、神様に申し訳ない思いをさせてしまった。そのように、文先生の存在がとても近くに感じられるようになり、その後、文先生にお会いした際、「私の夢を見るものがいるか?」と聞かれたことがあります。私たちがチャンネルを合わせれば、誰でも夢を見ることができるのです。そのような、全ての人類の父母なのです。

一から十まで、文先生と気持ちが一つになると、全てが先生と一緒にいたいと言う気持ちが自然と沸いてきます。そのような霊的に文先生との出会いが続き、祝福に参加するようになりました。祝福の時は、明け方まで、祝福に参加した12人に証を求められ、朝4時ころ証をしなさいと私が指名されました。

そして、「入教して4ヶ月ころ、たとえたった一人になってもメシヤのために、この道を行こうと決心しました」と証したところ、文先生は、「いまでも変わりないか?」と聞かれました。そして、私は、「はい、変わりありません」と答えました。
その時、私の人生において、文先生と因縁を持った者しか報告できるものは無いと感じました。神様は愛と慰労、命がけで人類を導き、このような世界を展開してくださいます。

この方が、今、私を生かしてくださいます。後ろ指を差されることがあったとしても、神様を悲しませることはしない。その瞬間決意しました。夫も、同じようなことを悟っていました。見えなかったとしても、文先生が、いつも一緒にいて、5時、6時になって話が終われば一日が終わる。
そういう生活がどんなにすばらしいのかと言うことです。報告できる内容があることがどれほどすばらしいことかと言うことを感じています。

カテゴリー:今週の説教 - 11/11/05掲載
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