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説教(2016年10月23日)
■説教者:堀 正一 教区長
■御言訓読:真の父母(第1編 第2章 第5節 13.17)
13人間は、堕落した父母から生まれたため、絶望の中で呻吟しながら、目的と方向も分からないまま、日々変化する立場で生きてきました。
しかし、私たちが行く道は、変わりません。朝はこのようにして、夕方にはあのようにして、というようなことはできないのです。「真の父母が行く道が私の道であり、真の父母が暮らす生活が私の生活であり、真の父母が立っている場所が私の場所であり、真の父母の世界が私の世界である」という思想を強固にもたなければなりません。
そして、「真の父母を慕うことにおいては、世界で一番慕っている」と言わなければなりません。真の父母に侍って行く道にいくら暴風雨が吹きつけても、これを幸せなこととして消化し、歩んでいくことができなければなりません。
ですから、未来になれば、世界の復帰や、一つの世界というものを夢見る必要はありません。皆さんはそのとき、歴史的伝統と希望の基準になる真の父母の家庭を身代わりすることができる、未来の世界的な家庭になりなさいというのです。
この原則は変わりません。その原則になる家庭が、真の父母の家庭です。
説教(2016年10月16日)
■説教者:堀 正一 教区長
■御言訓読:真の父母経(第1編 第2章 第4節 12.22)
12お父様は、有名な王国の王子として生まれたのではありません。誰も認めてくれませんでした。韓国は、戦争で傷ついた小さな国なので、そこに再臨主が来るとは誰も思いません。
再臨主は、イエス様が死ぬことによって始まった民主と共産、イスラームとキリスト教の四大怨讐圏の争いが、世界的に発展して収穫期になった時に来て、これを収拾して統一しなければなりません。名実共にそのようなことをしました。すべて成し遂げました。
そこで大成功するまで、多くの複雑な内容があります。一家族が巻き込まれて苦労することとは比較になりません。一国の苦労は何でもないのです。忍耐力をもって、すべて整理してきました。
22今までは発表しませんでしたが、お父様自身が今後、逝く時には「すべて成し遂げた」と言うことができ、み旨を中心として関与したその環境圏内で、お父様と関係を結んでいないものはないという事実を明らかにしてから逝ってこそ、天上世界でも初めて安着するのです。
説教(2016年10月9日)
■説教者:堀 正一 教区長
■御言訓読:天聖経(第1編 第2章 第2節 12.34.32)
12イエス・キリストは、「私は神様のひとり子だ。神様は私の父だ」と言いました。ひとり子というものは、神様の初愛をそっくりそのまま受けたということです。神様のひとり子はいたのですが、ひとり娘がいません。ひとり娘に出会うことができなかったので、神様の初愛をすべて受けるひとり娘に出会うために、イエス様は再臨するのです。
再臨主が来て「小羊の婚宴」、すなわち婚姻をしなければなりません。神様の初愛をそっくりそのまま受けた男性と、神様の初愛をそっくりそのまま受けた女性が、家庭をつくらなければならないのです。その位置が、堕落していないアダムとエバの位置です。
34イエス様は父です。聖霊は母なる神です。母なる神によって感動を受けなければなりません。エバ、母によって失ってしまったので、完成した母なる神が来て「私」の心と体を清め、完成した父と霊的に一つになる体験をしなければなりません。そのような体験をしなければ、重生する道はないのです。
「聖霊に逆らう人は赦しを受けることができない」と言われています。天の父と人の子に逆らうことは赦しを受けられますが、聖霊に逆らえば赦しを受けられないというのです。
聖霊は母なる神です。母の胎中を通らなければ、人が出てくることはできません。間違って生まれたので、再び生んであげなければなりません。偽りの愛で間違って生まれたのですから、真の愛によって、真の父と真の母の立場で再び生んであげなければならないというのです。
32キリスト教の中心は、イエス様です。新郎であられるイエス様が、新婦を迎えるのです。これが正に、「小羊の婚宴」です。「小羊の婚宴」とは、イエス様と聖霊である一人の女性が、実体をまとって結婚式を挙げることです。キリスト教では、「父」は神様であり、「子」はイエス様だと言います。「聖霊」は母なる神です。
母なる神であるため、。その聖霊を受けなければ、重生することができません。母なる神である聖霊が生んであげなければなりません。父母の愛を通さなければ、人が生まれるということはありません。これが天理です。
イエス様は父であり、聖霊は母です。すなわち、イエス様は新郎であり、聖霊は新婦なのです。皆さんの心に聖霊が臨み、新郎であるイエス様を聖霊が思慕する力と皆さんの心が一致するとき、火を受けます。生まれ変わるのです。それにより、霊的父母との愛の関係を通して、新しい生命が注入されるのです。これが、キリスト教で言う重生です。
説教(2016年10月2日)
■説教者:堀 正一 教区長
■御言訓読:天聖経(第12編 第3章 第5節 80.101)
80天運に乗ろうとすれば、まず天運の行く道がどこに行くのかを知らなければなりません。そこは、万民が喜ぶ所、楽しんで飲んだり食べたりする所ではありません。すべてが嫌う場です。
その場は、どのようなことでも常に感謝し、責任を遂行しながら栄光を神様のみ前に返して、自分自ら感謝できる位置でなければなりません。そのような位置に立つ人が天運に乗れるのです。
101祝福家庭は、世界的であり天宙的です。先生に代わって実行できる直系の息子、娘と同じです。先生が祝福してあげるときは、「私よりもっと立派になり、私の後ろについてきなさい」と思いながら祝福してあげたのです。
ですから、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の心さえもてば、先生がしてきたことを、同じようにできるのです。神様は、創造をするとき、そのような心情をもって出発しました。主体である神様が、「私が語れば、愛の実体対象が生じる」と考えたのです。絶対信仰で造ったのです。
絶対愛の相対に出会うというのです。愛の主人になるためには、相対がいなければなりません。そのため、愛には神様御自身も絶対服従するというのです。絶対順応するところから循環運動が始まります。