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説教(5月15日)

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■題目:み言の鎧をつけなさい

■説教:和田康伸 教区長

■御言訓読:み旨の道

御言が財産である。

休む時(床につく時)原理をだいて休み、起きる時原理を中心として起きなさい。
今皆さんは原理を知ったとしても、原理の活用法は研究しなかった。
原理を活用することを知らねば原理的生活が出来ようか?

御言を心と頭だけで知るのではなく体でわかって行いなさい。
我々は、御言で武装された実体ー即ち、御言の原子爆弾とならねばならない。それ故爆発すべき目的地に行って不発弾となってはならない。

原理をどれ程知ったかが問題でなく、どのくらい実践したかが問題である。

■説教内容

み旨の道の中から4つのみ言にかかわる内容の訓読をしました。私達人類にとってみ言は財産であると心から感じております。天地人真の父母定着み言実体宣布大会を勝利され、今日私達に八大教材教本のみ言を伝授して下さいました。

このみ言は私達にとっての遺言であり、真のご父母様から相続させていただく私達の宝であります。このみ言をよく訓読し、活用し、み言によって生活し活動する事が信仰生活にとって重要であると思います。

今日はカイン・アベル問題を中心にお話したいと思います。み言はとても尊いものだと思いますが、教義となっている統一原理はお父様が16歳から25歳の9年間にわたるサタンとの血みどろのたたかいの中で勝ち取られたみ言であります。原理講論の項目ひとつひとつが解き明かされるのは大変だったと思います。

例えば、項目のひとつを私達の人生の課題として与えられたとしましょう。たくさんの書物を読んで、いろんな事を経験したとしても肉身と霊人体の相対的関係についてはっきりと解明できる人はどれ程いるでしょうか。

サタンとまともにたたかってサタンの正体やサタンの活動を解明するのは、最初からお手上げ状態ではないでしょうか。なぜ再臨復活するのか、その方法、理由まで解き明かそうとしたら一生あっても難しいと思います。

創造原理から再臨論まで体系化し私達に示して下さったのです。普通の人間には難しい、神様から特別な使命を受けたメシヤにしか成す事はできない事は明確です。

ある食口の方からこんな話を聞きました。その方はミッション系の大学に行ってました。先生から語られた内容がアダム家庭の事でして、アベルとカインの供え物の話で、カインは野の産物を、アベルは羊の中の肥えた物と初子を持っていくわけです。神様はアベルとその供え物はかえりみられて、カインとその供え物はかえりみられなかった。これを解明しようとしたら本当に難しい事です。

その時に食口が聞いた先生の説明は、どんなニュアンスで語られたかは分りませんが、「神は肉料理が好きだった、野菜料理は好きではなかった」と説明されたそうです。私達は原理を知った立場ですから吹き出してしまうような答えですけれども、もし原理を知らなかったならばせいぜいそれぐらいの答えしか出来なかったと思います。あぁそうなんだな、と満足するしかありません。

実際多くの人が聖書を読んでいますが、何ゆえにそうしたのかは全くわからず、何でかなと思いながら前に進んで行くに違いありません。原理を知ったという事は本当にすごい事だと思います。

アベルとカインにおいて重要な事は何かというと、何ゆえに神様がアベルを選んだのか、それは原理の観点からすればカインが最初に生まれた、アベルが次に生まれたという順番の問題だったという事がわかります。

実際、原理講論ではアベルが神様が相対する善性品の表示体としてたてられ、長子のカインはサタンが相対する悪性品の表示体としてたてられた理由というものが原理講論に2つかかれています。

1つは堕落の動機と経路にかかわっています。人間の堕落は2回ありました。最初が天使長ルーシェルとエバとの霊的堕落、次がアダムとエバとの肉的堕落、霊肉共の堕落がありました。この2回の堕落を、その動機と経路の形とすると、最初の堕落は過分なる愛の欲望を動機として、僕と神の子エバの非原理的な形で関係をもった。

それに対して2回目の堕落は、動機としてはもう一度神に帰りたいという相対的に善なる動機で、形としては原理的です。1回目と2回目の堕落の動機と形という観点から見た時に、神様は2回目の堕落の方が心情的に受け止める事が出来た。

1回目の堕落の実として長子のカインをみたてた。そして2回目の堕落の結実としてアベルをみたてた。それ故に長子のカインがサタンが相対する悪性品の表示体、次子アベルは神様の相対する善性品の表示体という形となった。

2つめはサタンがより長子に未練を持っていたという事です。それで神様は次子のアベルをとったというふうに書かれているわけです。なぜカインがサタンが相対する立場で、アベルが神が相対する立場にたったかというと、先に生まれたか後に生まれたかという順序の問題です。

言い方を変えれば立っている位置の問題だったという事を理解する事ができます。もちろん聖書によるとアベルは供え物を持って行った時に肥えた物と初子を持って行ったと書かれています。

その一文からするとアベルは供え物を持って行く時に心から感謝して喜んで持って行ったのではないかと推測できます。もしカインが不平不満の心で持って行ったとしたらカインは羊の群れの中でもあまり良くない物を持っていったのでしょうが、アベルは群れの中で一番尊い物、一番良い物を持って行った訳ですから、アベルは非常に感謝して喜んで真心をもって捧げていったのではないかと憶測されます。しかし純粋に原理の観点からみるとアベルは感謝して喜んで持って行ったから神側にたった訳ではないという事です。

生まれた順番の問題、立っている位置の問題だったという事がわかります。従って私達の信仰生活においてもアベルカインの問題は非常におおきな意味を持っています。アベルとカインの問題なくては私達の信仰生活はありません。

もちろんアベルとカインは相対的ですから、ある一方を向けばカインの立場に立っていますが、また反対方向を見れば私達はアベルの立場に立っています。

ですからカインの立場でもあり、アベルの立場でもあるわけですけれども、このアベルとカインによって連結される私達の信仰生活ですけれども位置というものは本当に原理によるもの、天から与えられた位置によるものであって、人間の目で判断してなるものではないです。

原理によるものだという事を良く理解しておかなければなりません。その内容を理解できていないと私達は原理軌道から引っかかってしまう事もあります。実際にアダム家庭におけるアベルカインを考えると非常に難しい問題があります。カインは年長であり、経験があり、苦労した立場です。それに対してアベルはどうかというと年下であり、経験も乏しく、苦労も少ないという立場でした。

アベルを中心としてアベルとカインが一体化しなければならなかったと書かれています。それで原理ではカインの責任がかかれています。カインはアベルを神の立場で愛さなければならなかったし、カインはアベルを仲保として神に通じなければならなかったし、カインはアベルに従順屈服しなければならなかったし、カインはアベルを通して神のみ言を受けて善の繁殖をしなければならなかったとカインの責任が強調されて書かれています。

カインの立場も大変難しかったと思います。原理講論には書かれていませんが、アベルはアベルとして本当に謙虚にならなければならなかったし、いつもカインを神様につなげる事が出来るように努力しなければならなかっただろうなという事を勉強してきました。

2人はアベルを中心として一体化しなければならないと書かれています。もしこれが反対でカインを中心として一体化しなければならないとしたらどうでしょうか。

きっとそれ程難しくはなかったのではないでしょうか。何故ならカインの方が経験もあるし苦労もしていますから、次男のアベルは自然にお兄さんの言う事を聞いてお兄さんに侍り一体化できるようになったのではないでしょうか。もし実体基台というものがカインを中心として一体化するというならそれ程苦労はなかったのではないかと思います。

しかし残念ながら原理の語っているところはそうではありません。年下で経験も少なく苦労も乏しいアベルを中心として一体化しなければならなかったから、とても難しかったという事になります。あくまでも天から与えられた位置によるものであって人間的なものではないという事が良く分かってきます。復帰摂理を見てみるとこれはアダム家庭の摂理だけではなくて、だいたいそれ以降同じような摂理が展開されます。

一番良い例が、イエス様を中心とした摂理においても洗礼ヨハネとイエス様が出てきます。アベルカインに当てはめれば、洗礼ヨハネがカインでイエス様がアベルの立場です。

イエス様に侍って第1弟子となってイエス様の基盤をつくっていかなければならなかったし、イスラエル民族もイエス様を信じてイエス様と一体とならなければならなかったというところが原理の教えているところです。しかし当時の社会的状況を考えてみた時に、洗礼ヨハネは家柄も良く、奇跡の中で生まれました。大変素晴らしい人格であり一生懸命修道生活をしていました。人々の噂にメシヤではないかと自然に出てくるほどでした。

それに対してイエス様はどうかと言うと、大工の息子であり、家もごたごたしていて、律法の教えを否定したり破っているように見えました。従ってその当時の人々にはイエス様を信じるのが難しかった。イエス様が洗礼ヨハネはエリヤであると証したにもかかわらず、洗礼ヨハネは私はエリヤではないと言った。エリヤの問題に対して決定的な違いが出てしまった。

その時にみんな洗礼ヨハネを信じた。洗礼ヨハネにとってもイエス様を信じるのは難しかった。イスラエル民族も洗礼ヨハネの言葉を信じ、イエス様は十字架に追いやられてしまいました。天がどういう位置にたっているのか、人間的に考えれば本当に洗礼ヨハネがメシヤで、イエス様が洗礼ヨハネだったらどんなに良かったかと思いますが、実際の歴史はそういう風になってはいなかったという事です。

従って私達の信仰生活において、天から与えられた位置を中心としてアベルとカインが決定されるのであって、アベルはアベルとして、カインはカインとして正しくその本文を果たしていかなければならない。具体的な歩みにおいてもアベルとカインという問題を人間的に見ると、時には過ちを犯すのではないかと思っています。

人間の目で見るという事は、私達の信仰生活によっていつも正しい判断だとは限らないという事を原理は教えてくれている訳です。一般人の常識から見てこうなるのが妥当だろうという判断を下して行動するという事です。

それがいつも正しいとは限らないという事を理解していなければならない。アベルとカインという問題は人間的な目で見るのではなくて原理を通して神の目で見てみるという事が私達にとって大切な事です。いつもみ言に立ち返ってみ言を中心として自分の目ではなくて神の目で見ていく、天の眼差しで見ていくのが重要ではないかと思います。

終末とはサタンを中心とした悪主権が滅んで、神様を中心とした善主権が現れていく、その善と悪の交錯の時が終末であると語られています。終末は過ぎ去ったと認識していた事がありました。なぜならワシントン大会を見事に勝利されました。実際に世界を見てみると共産主義がどんどん滅んでいきました。

ピークは越えたのかのかなと思っていた時がありましたが変わりました。今が終末であり、本当の終末はこれから来るのではないかと考えが変わっています。2013年1月13日天一国創建までいろんな試練が襲ってくるが、その試練を押しのけながら天一国創建まで歩みぬいていかないといけない、その時に最終的に頼るべきはみ言です。

目に見えないサタンとたたかう武器は2つだと言われています。
1つは祈りです。絶えず祈らなければなりません。祈りは呼吸だとも言われます。祈っていると霊的に善悪というものが分かってきます。霊的感性を保ち続けるのが必要です。

もう1つはみ言です。いつもみ言を訓読し、み言による判断をしていかなければなりません。み言をよく学び、活用して歩んでいかなければならないと思います。アベルとカインの問題も自分の目に頼るのではなくて原理に立ち返って、原理を通して天と神様の眼差しを中心として判断していくという事が、アベルの立場であろうともカインの立場であろうとも、その原理を通して正しく判断していくのが極めて大事ではないかと思います。

時には不条理だな、不合理だなと思う時は、人間的判断に終わらず原理の目で物事をよく見つめていくのが重要である。人間的になりすぎない、原理で賢く判断するのが重要ではないかと思います。いつも神様につながり、真のご父母樣につながっていくためにはしっかり原理で武装し、原理で鎧をつけていくのが重要だと感じています。

これから本格的な本然の時代、後天開闢時代、実体の世界があらわれる時となりました。新しい時代を迎えて、原理を活用し、個人から家庭に至るまで努力していかなければならないし、天一国という実体の神の国をこの地上につくっていかなければならない時を迎えています。

お父様は今ヨーロッパにおられます。2ヶ国で大会をし、アメリカへ行かれます。ある国には数家庭しか祝福家庭がいません。当初大会は予定されていませんでしたが、お父様が来られて急遽準備し800名の大会が成功しました。天地人真のご父母様を迎える人類として、国としての基盤が充分になされていなかった事を悔い改め、決意して築いていかなければならない。

ひとりひとりの責任、天の期待が大きいと感じます。アベルカインの問題もしっかり原理を通して判断し、神様の願った方向に進んでいく事が大切だと思います。み言で武装し、み言の鎧をつけて、しっかりと前進していきたいと思います。

原理を深く勉強する事によって神様の心情を近くに感じることができます。親なる神様ですからカインとその供え物もかえりみたかった心情ははちきれんばかりの思いがあったと思いますが、蕩減復帰の道のりを歩まなければならない人類の前に親として充分その思いをあらわすことが出来なかった悔しさ、無念さがあったと思いますが、原理を学ぶ事を通して神様の深い心情世界が垣間見えるのが理解できるのではないかと思います。

もう一度原点に立ち返って原理を学び天一国創建まで前進していきたいと思います。

カテゴリー:今週の説教 - 11/05/16掲載
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