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説教(6月19日)

■題目:天の基盤が必要

■説教:和田康伸 教区長

■御言訓読:天聖経(真の神様の祖国光復より)

もしも、地上で国家を復帰するという事を自分の生涯で果たせない場合、皆さんは霊界に行っても天国に属する人としての価値を持つ事は出来ません。地上で神様の主管圏内で統治されたという実績をもって、霊界に行かなければなりません。それが本来の創造基準なのです。

神様は愛する息子、娘を地上に送り、絶対的な一つの国家を建てる為のみ旨を進行させてきましたが、現時点では一つの国家を復帰し得る土台は築かれていません。いつも失敗してきたので、この地上に天の人を遣わし、それを治めさせ、推進させ、成就させる為に苦労してきたのが、今までの天の歴史なのです。

国があって初めて私達の千秋万代の子孫の前に、大切に残してあげる事のできる伝統も残るのです。私達が血の汗を流した全ての努力も残るのです。天の労苦を讃える記念塔がこの地上に生じるのであり、全ての栄光の形跡がこの地上に残るのであって、国がなければ全て無駄なものになるのです。

今日、世界のキリスト教にとって残された十字架や全ての涙も、天の求める国がないとするならば、全て川に流さなければならないのであり、燃やしてしまわなければなりません。サタンの籠絡に倒れて行くという事を知らなければなりません。それ故国が問題だという事を皆さんは知らなければなりません。

■説教内容

物事はどういう関係から見るかによって、だいぶ物事の見え方が違ってくると感じています。
例えば人類の歴史をどう見るかということについては、共産主義は「階級闘争歴史である」と言っています。富んだ者が貧しい者を支配する歴史であって、貧しい者が富んだ者に闘いを挑みながら展開されてきたのが今日までの歴史であると考えています。
私達は「善悪闘争歴史である」と考えています。神様を中心とした善と、サタンを中心とした悪の闘いの歴史というふうに考えます。

アダム家庭においては、アベルは善の表示体とされていますし、カインは悪の表示体とされています。アベルとカインは善悪の闘争と言えます。この闘いにおいてどちらが勝利したかというと、皆さんご存知のようにカインが勝利をおさめました。

カインがアベルを殺したとありますから、アダム家庭においてはサタン側、悪側の勝利に終わったという事です。従ってそのままでは終わるわけにはいかないので、神様はノア家庭を導きましたけど、ノア家庭も残念ながら勝利出来ませんでした。

そしてさらにアブラハム家庭を導きだしますが、アブラハム・イサク・ヤコブの三代にわたって、結局善の表示体であるヤコブが、悪の表示体であるエサウとの闘いにおいて勝利して、家庭的なレベルでの善悪闘争歴史は神側が勝利をおさめるという事になりました。

さらに氏族的レベル、民族的レベル、国家的レベルといろんな段階における善悪闘争が今日に至るまで展開されてきたというふうに私達は考えています。従ってこのような私達の歴史観は重要であります。

共産主義の学生達は「犬が吠えても歴史は進むんだ」と言って、最後はプロレタリアとの共産世界ができてそれで歴史は終結するんだという信念を持って活動していました。私達も今日、善悪闘争歴史で展開されてきた歴史が今最終的な決着をつけなければいけない時を迎えたという事を理解しています。

最終的決着というのは100年200年かかるのではなく、2013年1月13日までのあと1年と数ヶ月間の中で最終的決着をつけられなければならないのです。どういう形で現れるかというと、天一国という具体的な神の国が建国されてその歴史に決着がつけられると語られています。

従って今私達は人類歴史の6000年にわたって展開されてきた善悪闘争歴史の最後の闘いの時に、神側の天の勇士として、神側の天の烈女として、神様からすればとても頼もしい、頼りとせざるを得ない天の勇士烈女として今この場に立っているという事を理解する事が出来ます。歴史のみならず物事の考え方も私達の信仰生活を考えた時にも、善悪の分別は大変重要だという事です。善悪を分別しないと神様の摂理は始まらないのです。アダム家庭においてもアダムは善悪が混在する立場でしたので、神様はこのアダムから摂理を進める事は出来ませんでした。

このアダムを真二つに切った形で善の表示体であるアベルと悪の表示体であるカイン、この善悪を分けたところから神様の摂理が出発しました。従って私達の信仰生活においても、私がもし善悪の母体であるなら、神様は私を通して摂理する事が出来ません。本当に私達が神様に用いられるように、よく善悪を分別しながら進んでいかなければならないという事になります。なかなか難しい事です。

例えば生活面について言えば、自分の生活環境をしっかりと整理するという事が必要です。最近売れている本に「物を捨てる事によってあなたの人生は変わる」といのがあるそうです。
ある教会長は、トイレをきれいにするとお金がまわるようになるという主張をされていました。清平では大母様が「経済の問題がある人は胃腸を役事しなさい」と言われます。その胃腸を通過した食物の行き着く場ですから、そこを掃除すると財がまわるというのも利に適ったことかなと思います。物を整理する、物を捨てる事によって生活環境が変わっていくという事もあると思います。

物事の整理は、信仰生活における分別という事においては大事なのだろうと思います。新しい教会を担当する時は、教会の掃除からまず始めました。外的環境を整えていきます。物が増えると霊的雰囲気が落ちてきて、混沌としてくる事があるように思います。

霊的環境も大切であります。ある韓日家庭の証しで、ご主人が油断すると霊が体に入ってしまうそうです。しかし善霊堂が家にきてから絶対善霊が悪霊を捕まえて窓の外に放り投げていたそうです。霊的環境が整えられているのです。絶対善霊がどれ程、子孫である私達を導きたい事でしょうか。

守ってあげたくて家を訪ねてきても、恨霊が主観していて容易には近づけないという事です。絶対善霊も御父母樣のお写真の後ろで小さくなって夜を過ごすそうです。私達が気付かなくても背後で霊的闘いがなされているという事を知る事が出来ます。私の環境が、神様の働ける環境であるのか、絶対善霊が協助できる環境であるのか、地上的要素から考えてみても、霊的要素から考えてみても、環境整備は信仰生活において重要ではないかと思います。

最終的決着は神の国をこの地上に建てることによって完結するのであります。もしこの地上において神の実態的な祖国、天一国を創建しなければ私達は堂々と天国に入って行く事は出来ないとお父様はおっしゃっています。天一国を創建するという事は私達にとっても一大事でありますし、一番深刻に考えていらっしゃるのが真の御父母樣です。

これ以上延長できない2013年1月13日に向けてどれ程深刻な立場でみ旨を進めていらっしゃるのかという事です。天一国はどのようにつくられるのか、具体的な話では、天一国がつくられるためには、その一国の国民の半数以上が天を受け入れれば可能でしょう。

民主主義の世界は多数決で物事が決定されます。最終的には数で決定されるという事です。ある国で半数以上が食口となったならば、その国は間違いなく天一国であると言えます。

反対に言えば、少なくとも民主主義国家であれば半数が食口、または食口に賛同する人でなかったならば天一国ではないという事です。そういう基準で見てみた時に、いかに神様の祖国であり神の故郷である韓国において、その相対圏に立つ日本において、子女国家の代表である米国において、そこまで天の基盤を築く事が出来るのか、これが今この闘いの勝敗を決していく1つの基準であるという事になります。

そういう基盤をつくらなければいけない立場に立っているという事を自覚しなければなりません。天一国創建といくら叫んでも、祈っても、それだけで天一国が実現できるわけではありません。天一国実現は具体的であり、天の基盤をいかにつくっていくか、世界に拡大していくか、本当に天一国に相応しい国をたてていけるのかが、今の私達の最大の摂理的な課題であります。今日まで残念ながら天はその基盤をつくる事が出来ず、ご苦労されてきました。

「イエス様の生涯と愛」という本を読んでイエス様の路程がどれ程難しかったかという事を改めて認識しました。本来なら全員が歓迎してお迎えしなければならなかったのがメシヤでした。2000年の時を経てキリスト教は世界に拡大していきました。クリスチャンは世界65億の中の20億人と言われています。

日本はクリスチャンでなくてもクリスマスイブはイエス様のご生誕をお祝いします。本来はイエス様がお生まれになった時に、少なくてもイスラエル民族全体が大歓迎しなければなりませんでした。しかし歴史の現実は誰も歓迎しませんでした。ベツレヘムの馬小屋で生まれたのは神様の配慮であるとお父様は語られています。

マリアは生まれる前に神様に「この場では生むことが出来ません。私を他の所に連れて行ってそこで生ませて下さい。」と祈ったと書かれています。そして神様はマリアの切なる心情がわかったので、マリアに対して配慮してあげたのです。それで生活していた環境圏を離れてベツレヘムで生まれるようになったのです。

3年間エジプトへ行きそれから帰ってきました。待ちに待ったメシヤなのに、天の家庭基盤もなく、天の氏族基盤もなく、民族基盤もなく、全てサタンに奪われてしまって、イエス様がこの地上に天国を築こうとした時に家庭が障害となり、氏族が障害となり、民族が障害となり、国家が障害となり、世界が障害となり、ありとあらゆる事が難しかったのです。イエス様はどれ程多くの涙を流したかわかりません。

神様が満を持して送られたメシヤであったにもかかわらず、そのメシヤを守るべき基盤がなかったので、イエス様自ら12弟子を復帰して基台を立てましたが、結局12弟子はイエス様が十字架にいかれる時基台となる事は出来ませんでした。

天の基台を立てるという事がどれ程難しい事でしょうか。かつてのユダヤ教のようにキリスト教は摂理的使命を果たす事が出来ませんでした。それで真のお父様は興南の地へ行かれました。再臨主は生きてみ旨をなさなければならなかったので、興南で12弟子を復帰されました。命がけの伝道だったのです。どれ程壮絶な闘いだったでしょうか。

しかし国、世界を復帰していくためには、もっと大きな基盤が必要なのです。そのため召命を受けて選ばれて立たされている私達なのです。いよいよ今日たるまでの路程が、最終的決着をつける時が来ました。それが何かというと、国をたてる事ができるかどうか、今こそ奮起して天の基盤をつくるために伝道で頑張っていかないといけないという時であると思います。

自叙伝配布430冊勝利された方の証しの再現ドラマを見ました。まさに天の勇士烈女そのものだと思いました。実態的に私の天の基盤がないといけないと思います。10月に祝福があると思いますが、ぜひ祝福前に3人の霊の子女を復帰して下さい。天の家庭として守り続けていくために最低3人(ルーシェル、ミカエル、ガブリエル)たてなければなりません。

基盤なくして私達は立つことが出来ません。基盤をつくるという事は私達にとっても、私の家庭にとっても切実な深刻な死活問題であります。もし家族に反対されているなら、その家族の中で天を受け入れていく基盤を如何に築いていくか、同じように氏族や職場で如何に天の基盤を築いていくかが重要であります。

全てにおいて天の基盤をつくっていかなければなりません。具体的に考えて実行していかなければならないのが今この時であります。もう時を失う事は出来ません。天一国創建は私を中心として、私達の家庭を中心として天の基盤を如何に築いていくかを真剣に取り組んでいかなければなりません。

闘いは勝つか負けるかであり、数的基盤のある方が強いのです。今までと今が違うのは、摂理的にもう時がなくなってきたという事であります。早く天の基盤を築いて、お父様をこの日本に入国して頂き、天一国日本が神の願いの如くに歩み行くように努力していかなければならないのです。

まだ私達は小さな群れですが、大きな群れとなってこの国を動かす事が出来るようになっていかなければなりません。来週礼拝に参加する時、天の基盤が広がっているのか狭まっているのか、サタンと闘って天の基盤を拡大していく私達でなければなりません。

全員が力をあわせて頑張っていきたいと思います。国がなければ私達は天国へ入る事が出きません。国を復帰して御父母様の前にお捧げしなければ、御父母樣が神様の前に立つ面目を失ってしまいます。国を復帰して御父母樣と神様に喜びをおかえしできるような私達となりたいと思います。

カテゴリー:今週の説教 - 11/06/20掲載
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