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説教(10月3日)

■題目:  「新しい歴史の礎たる私となりましょう」

■説教者:和田康伸 教区長

■御言訓読:み言選集 第11巻 97ページ

患難の中で忠節の心情を持つ真の息子娘

神様は人類の前に終わりの日になれば、 7 年間の大患難があると予告しました。この患難の時期は 6 千年の歴史路程において、天の悲しい曲折が聖徒たちにぶつかる時です。人間たちの因縁がすべて崩れて行き、信じられない環境にぶつかる時です。

自分がいくら良心的に正しく生きても、その良心を持って自分の生涯を主張することができない時です。信仰でも、どのような主義でも、自分の生涯を主張することができない時です。志を抱き、考えがある者であればあるほど、眺める所々で苦痛を感じる時です。

そのような時が終わる 7 年大患難の時です。その時は希望や所望が搖れ動く時です、私たちが信じている信仰の中心が揺れ動く時であり、信じて従って行った指導者が揺れ動く時です。主義はもちろん宗教、良心、父母の心情までも全部がすべて揺れ動く時です。

それでは神様はどうしてそのような世の中を作っておかなければならないのか? それは真の神様、歴史的に苦労した神様と同参したと言う価値を与えるためだからです。

神様は 6 千年の間、数多くの惨状を見て来られたし、数多くの曲折にぶつかったので、終わりの日においては、良心とか、主義とか、信仰とか、そういうものを持って中心に立つことができない環境にぶつかるようにするのです。

そのような患難の中でも神様を愛するという、そのような難しい立場でも神様とともに生きるという真の息子娘を捜すために、そのような時が来るというのです。

だから皆さんは、教会が揺れ動くのを見ても悲しまずに、何かしらの主義が動揺してしまうのを見ても悲しまずに、何かしらの主権者が倒れるのを見ても悲しまずに、自分の父母が変わっても悲しまずに、自分の兄弟が変わって落ちてしまったとしても悲しまないでください。

頼って信じていた世の中のすべてのものが動揺したとしても、皆さんの心は平然でなければいけません。神様は動揺せずに、この時間も私を尋ねて来られているということを知らなければなりません。神様が私たちに苦痛を与えるのは、ご自身の貴い一日、ご自身が経て来た苦痛の因縁を、私たちに結んでくれるための大きな約束であるということが分からなければなりません。

そのような立場で天をかき抱き、「一緒に行きましょう。一緒に戦いましょう。一緒に行動しましょう」と叫んで立ち上がる人を捜すために、そのような世の中が必要だというのです。

*1961年 2月 12日(日) 旧本部教会、韓国

カテゴリー:今週の説教 - 10/10/03掲載
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