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説教(7月17日)

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■題目:あなたの萎えた手と弱くなっている膝を真っ直ぐにしなさい

■説教:和田康伸 教区長

■御言訓読:ヘブル人への手紙(第12章5節~12節)

 また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。
 主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。
 あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。

 だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。
 その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。
 肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。

 すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。
 それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。

■説教内容

最近日本は元気がありません。政界でも不安を感じている人が多いのではないでしょうか。その中でも女子サッカーのなでしこジャパンが頑張っています。
決勝トーナメントで初めて戦ったのがドイツでした。強い国で大会3連覇を狙っていましたし、大会自体がドイツでしたので客観的にはとても不利でしたが、延長の末にドイツに勝った、その翌日か翌々日のコラムです。

「サッカーの女子W杯ドイツ大会で4強入りした日本代表の名称なでしこジャパンは2004年のアテネ五輪の直前に決まった。日本サッカー協会が応募の中から選んだものだ。やまとなでしこは日本女性の美称でもある。47年前の東京五輪で金メダルを獲得した女子バレーボール日本代表のニックネームは東洋の魔女だった。

名付け親は最大のライバルだった当時のソ連のメディアだった。もうれつなしごきが話題となった大松博文監督以上にキャプテンの河西昌枝さんの存在がいかに大きかったか。スポーツライターの吉井妙子さんが文芸春秋7月号に書いてある。河西さんはある時はお母さん、またある時はお姉さん、そしてコートに入ったら大松先生より怖いコーチだった。

たまたま吉井さんは都内のホテルで河西さんと食事の最中に東日本大震災に遭遇する。大きな揺れにも全く動じなかった河西さんがこう語る。今日本は大変な状況にさらされているけれど、日本人は逆境に強い民族だと思う。今まで平和だったからナニクソ精神が生まれたままだったけど、今が発揮するチャンス。なでしこジャパンで河西さんの役を務めているのが澤穂希選手だ。

代表通算78得点を誇り、準々決勝のドイツ戦では絶妙なパスで丸山桂里奈選手の決勝点のお膳立てをした。何より苦しい時には私の背中を見てと若手選手を引っ張っていった。東洋の魔女は身長の差が10cm近くあるソ連を打ち破り、戦後復興を遂げつつあった日本人を勇気付けた。同じようになでしこジャパンは被災者の希望の星となれるであろうか。準決勝が楽しみだ。」というコラムです。

日本は第二次世界大戦が終わってから既に65年を経るに至って、基本的にはいろいろな事件や事故があったけど、終始一貫平和な世界を保ち続けてきた事は間違いない事実であります。
第二次世界大戦が終了した時にはこの辺も焼け野原になっていたのではないでしょうか。おそらく日本の主要都市は空襲を受けてどこも同じように焼け野原になっていたと思います。

名古屋では町の中心に100m道路という広い道路があります。当時では信じられないような道路ですが今後を考えて名古屋市長がつくり、今は功を奏していると思います。車で生活するには大変便利な都市となっています。急速な驚異的な戦後復興を遂げていくわけです。

み言を聞いた立場からすれば日本が第二次世界大戦で敗戦して、この日本の国を天は祝福してくださり、天からすれば恩讐といわれても仕方がないような日本であったとしても、その日本を祝福してくださり、その祝福の中で日本は高度経済成長をして世界の一等国になっていったという事です。

しかし天の祝福があってもそれだけで日本が発展してきたのではなく、日本人の持っている特質性があると思います。日本人は勤勉であります。海外の人からみれば、勤勉さ、社会秩序を守る倫理性、外国人への親切さが特質であります。欠点もあるので鼻を高くする事ではないですが、こういう日本の民族性というものは誇り得るものではないかと思います。平和が65年続いてきましたので、特質性が段々埋もれてきてしまっているような感覚があります。しかしそういう特質性は東日本大震災のような、私達が逆境に立たされた時に現れるのです。お父様のみ言に「普通の時ではなく試練の時にその人の本当の姿が現れる」というのです。

コラムによると東日本大震災の時に、東京でもかなり揺れたのに河西さんは微動だにしなかったのです。その時に、日本人は忍耐心がある、「ナニクソ精神」がある、普段埋もれている特質性が逆境の中で発揮されてくると語ったというのです。日本は今逆境に向かっていると思います。天から与えられた特質性を発揮する時ではないかと思ったりします。なでしこジャパンは体力的な事があったり、ハンディがあったりするけど食らいついて一生懸命に頑張る姿はとても感動します。特に女子が頑張っているのはやはりエバ国家だなと思ったりもします。

天は日本民族をどう見ているのか。一般の人には見えなくても、天は日本の一点の特質性をもって摂理して下さっています。個人の歩みにおいても、神様は皆さんの他の人にはない何かを持っている、その一点を見つめながら今も導いてくださっています。

 神様の愛をどうとらえていくのかについて少しお話します。神様は被造世界をつくるにあたって2つの異なったものをつくられました。1つは人間です。神様の形象的実体対象です。もう1つは人間以外の全てのものです。象徴的実体対象と原理では言っています。神様は明確に分けて創造されています。最も違う点は責任分担です。万物は蘇生、長生、完成の三段階を原理の主管性と自立性によって完成するようになっています。

それに対して人間は原理の主管性と自立性によって完成すると共に、人間には責任分担があり全うする事によって完成するようになっています。責任分担があるかどうかが分かれ目となっています。

原理講義をする時によく花の種の話しをします。花の種はとても小さなものですが、土にまいて適度な環境圏におかれたものは大きく成長し花が咲きます。小さな種のなかに神様の意図や願いがあって、時間の経過と共に成長して、大きな花となって人間の喜びの対象となるようになっています。自然に自動的に完成するのが万物であります。

人間はどうかというとある一面においては万物のように成長します。それは体です。あるがままに時間と共に成長します。原理の主管性と自立性による天に任せた部分です。人格、心情の内的世界は自動的に成長し完成するのではなく、人間自身の責任分担が関係してきます。

アダムとエバはとって食べてはいけないという戒めを守り三段階を経て完成実態となる、または守らずに完成実態となれない時、直接的責任は誰にあるかというと神様にあるのではなくて私達人間、アダムとエバにあったというのです。このようにして人間には責任分担が与えられており、その責任分担を全うすることによって初めて完成する、即ち自分自身の責任分担があるかどうかという事が人間なのか人間以外の万物なのかを分ける分け目となってくるという事を知る事ができます。

 創造原理(第5節)の間接主管に神様の愛が書かれています。なぜ人間に責任分担が与えられたのか。1つは人間に創造性を与えようとしたため。もう1つは神の創造に加担させる事によって、人間を万物の主管主としての権限を与えるためです。神様はご自分の姿に似せてそっくりにされたかった。神の子女として創造性を与えたかった。その為には神様も干渉できない責任分担を全うするしかなかったのです。

例えば子供が宿題を持ってきた時に、親が全部やってあげると子供は学習能力ができません。賢い親は子供にとって本当に幸せになる事を考えます。時には酷なこともあるかもしれませんが、子供の将来を考えたら敢えて干渉しない事もあります。本当に子供の事を考えたら干渉できない一線があるという事を知る事ができます。

神様は親バカではありません。私達が出来るところまで神様がオーバーして無理に干渉することはありません。責任分担を全うして神様に似たものとなった時に、神様は喜ばれるのです。責任分担は神様の愛であります。親なる神様は私達に多くの恵みを与えてくださるのも事実です。

いつも恵みばかり与えてくれる信仰路程だったなら、神様はまだあなたを一人前の子供として見ていません。神様はあなたに対して遠慮をしています。神様はまだあなたを心配しているから恵みばかりを与えて下さっていると思わなければなりません。

神様は愛するものを訓練するのです。神様は愛しているなら間違いなく必要な試練を与えるというのです。責任分担を与えて干渉しないのです。そうする事で少しずつ成長するのです。訓練・試練の時が一番神様に愛され、神様に近い時なのです。試練の中で愛をあらわして下さっているのです。神に似たものとなるため試練を下さり、私達を信じて下さった証しであるという事です。責任分担は神様の愛の表現であるという事がわかります。

李相軒先生は復帰される前は情がなかったそうです。原理を聞いて知的には真理だとわかるが神の心情がわからなかったそうです。そこで無期限断食をしました。講師をするため三週間でやめられました。三週間断食してその後小魚がでた時、その小魚から「私を食べる資格がない」と霊的に聞こえたそうです。

その時最初に荒涼としたエデンの園があらわれ、次に人に嘲笑されながら船をつくっているノア、アブラハム家庭のイサクを捧げようとした光景、次に十字架にかけられた茨の冠を被り血を流されたイエス様、最後は絶壁を血を流しながら上がって行かれる真のお父様の姿が現れたそうです。神様の悲しい心情が感じられ、その時から先生はガラリと変わられました。神様の心情を近くに感じられるようになったそうです。

小さな責任分担を全うする事によって、この被造世界全てを主管できる権限を私達に与えようとして下さったという事です。自分自身を創造するという神の創造の一端を担うことによって全て神様と共に私が創造してきたという立場で主管する権限を与えて下さった。人間的に見れば責任分担は決して簡単ではありません。

責任分担を与えられたという事は神様の愛だと言えます。責任分担を訓練や試練という言葉に置き換えてみれば、神様は私達を愛するが故に訓練するのです。私達も分からない本性を神様は知っておられます。ご父母樣との関係を考えて見る時に、日本は簡単な立場に立っていません。世界の食口達は苦労しています。日本の食口の苦労は簡単ではありません。

天との関係において、もし自由にしなさいと言われたら何をするでしょうか。平和ボケした日本が、本来の民族性を失い、行く道が段々おかしくなってきている、堕落した立場からすれば人間の本性とはそういうものです。ほっとかれると良い方向へは行きません。悪い方向へ行く事が多いです。もし私達に摂理がなかったとしたら、日本はどういう道を行くでしょうか。

皆さんの信仰生活はどちらに向かっているでしょうか。天は私達を良くご存知で、私が分からない私の本質を良く見つめながら導いて下さっていると思います。ある面においては迫害を受けています。拉致監禁があります。地の迫害です。その他に天が私達を逆境に追いやっています。なぜなら私達を信じており、私の本性を誰よりもご存知だからです。逆境の中で引き出しながら天につなげて下さっているのです。

神様が訓練しようとしてくれているのに、私は嫌だという人は本当に神の息子・娘でしょうか。もっと訓練して下さいと言えればどんなに感動的でしょうか。皆さんの手は萎えてはいませんか、足は弱っていませんか。主の訓練の前に自分はどうであるのか考えないといけません。

愛をしっかりと受け止めながら力強く歩んでいかなければなりません。訓練が与えられないなら、あなたは私生児であって本当の子ではないのです。神様を見つめながら、ご父母樣を見つめながら信じて恵みの時にも訓練の時にも変わらない信仰を持って力強く前進して行きましょう。

カテゴリー:今週の説教 - 11/07/21掲載
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