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説教(6月12日)

■題目:天一国創建は私達の召命的責任である

■説教:和田康伸 教区長

■御言訓読:マタイによる福音書(第6章25節~34節)

それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。

あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。

だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。

まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

■説教内容

先日、先輩家庭の中で、70歳(古希)のお祝いがありました。
草創期の教会の歴史は苦労が多く、その先輩方の苦労があってこそ今日の教会があります。本当に感射致します。

その先輩が、お祝いの会場でスピーチされた内容は、御自身が危篤状態になり、一旦霊界に行かれた時のお話しでした。霊界では、本当に草創期の大先輩の方々とお話されたそうです。その中で聞いた内容は、事を成すのには3つの内容が必要だということだそうです。

「天運・人運・地運」の3つがあってこそ事が成されるのだそうです。我々には真の御父母様の勝利によって天運はものすごくあるけれども、人運と地運が非常に乏しくて、事が成されない状態だということです。それゆえにもっと頑張って来ないといけないからと、霊界から追い帰されてまた地上界で活躍していますと話しておられました。

私達は、一人一人が尊い使命を持って歩んでいます。歩む中で恵みもあれば、試練もあります。私も教会に導かれた当初3年間は、試練の時に、「なぜこの道に導かれたのだろうか、私以上にこの道にもっとふさわしい人が居るではないか。」と思い悩んでいました。

その当時の私は一生懸命歩んでもなかなか実りがありませんでした。その状況から見て、私には先祖の功労にも恵まれていたほうではなかったと思います。そして人間的に見ても優れていなかったのだと思います。それゆえに私よりあの人のほうが、もっとこの道にふさわしいとよく思ったものです。

摂理の中心人物として導かれる為の条件には5つあるのですが、その内容は

1.選民であること(クリスチャンであること)
2.選民の中でも祖先の功績に恵まれた者であること。
3.神様のみ旨を成すのに必要な天稟を備えていること。
4.天稟を備えている者の中でも後天的条件を備えているもの。
5.更に時期と場所が合致していること。
 
皆さんどうでしょうか?適しているでしょうか?
私の場合は5番目だけは誇れますが、選民(クリスチャン)であってこそ誇れる内容なのであって、私には当てはまっていませんでした。
 
それでも人々に先駆けて導かれたのだということを入教当初考えていました。
入教して3年が過ぎたころ、泣けて、泣けて、仕方がないという期間が1週間くらい続きました。その時に、神様のより深い愛を感じるようになったのです。
 
私には先祖の功労もない、天稟もない。それでも神様は私を尋ねてくださいました。
なぜ尋ねてくださったのでしょうか?

今の私達は神様から見て、本然の姿ではないし、誇れる歩みもない立場ではありますが、それでも神様は「あなたは私の息子であり娘である。」と信じてやまみませんでした。神様が私達を息子、娘であると見ていてくださったことが、我々を尋ねてくださった根拠なのです。

一人一人が大きな使命を持っているわけではなくても、今、召命的責任を持っている一人一人であると認識する必要があります。私達の教会では今、再臨主が生きて歩んでおられます。み旨の道においては神様の責任分担95%と人間の責任分担5%が合わさって完成して100%になります。

神様は全知全能ですからその責任分担の95%が欠けることはありません。問題は人間の責任分担なのです。人間の責任分担が仮に5%から欠けて4%にしか達しない場合には、その数の合計は数学的には99%なのですが、み旨の道においては99%ではなく、0%と言うことになってしまいます。
 
み旨の道においては100か0かどちらかしかないと理解する必要があるのです。
お父様は、2013年1月13日から1日たりとも延長すれば千年の悲惨な歴史が展開されることになるとおっしゃいました。
 
ノアの時もハムが恥ずかしがって神が離れてしまいました。今日に於いても同じ認識を持って歩まねばなりません。5%は私達が自らの責任において走っていかなければなりません。あと六百数十日しか残っていません。今のペースで天一国創建までいけるでしょうか?

天一国創建のみ旨に対して、神様、真の御父母様と共同責任を負っているのであり、落ち着いている場合ではないのだということなのです。

今こそ神の国と義を築く時です。夫婦、親子が、神の国と神の義の為に共に涙を流す家庭でなくてはなりません。我々の家庭のみ理想家庭を築いたとしても、社会全体がそのようでなければなりません。どんなに力も無く、功労も無い私達一人一人であったとしても天のみ旨を進めていく責任があります。

御父母様から「あなたは私の勝利権を相続したのか?」と問われている姿をイメージして祈ってみてください。天一国創建は私にとって召命的責任であることを自覚して1週間を出発していきましょう。

カテゴリー:今週の説教 - 11/06/15掲載
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