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説教(4月24日)

■題目:“時”と信仰

■説教:和田康伸 教区長

■御言訓読:伝道の書(第3章1節~11節)

天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生るるに時があり、死ぬるに時があり、

植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、

建てるに時があり、泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、石を投げるに時があり、

石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、

裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。

働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。

神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。 それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。

■説教内容

 人生において人が事を成そうとするならば、私たちには3つのことが必要といわれています。それは、①天の時、②人の和、③地の利、この3つがある時に、人は事を成すことができるといわれます。この3つの中で、特に①天の時は、私たちの人生においてとても重要で、実際、お父様のみ言の中にも時について語られたみ言があります。

 最近使われる言葉でKYというのがあります。KY(空気を読めない)ということらしいです。その場がどういう雰囲気なのかを良くわきまえて語り行動しなければならない。そういうことができないと、社会人としてはちょっと難しいと思われるということです。

 同じように私たちも今の“時”ということをよく理解していかなければならないのではないかと思います。何故ならば、「天基」が始まったからなのです。昨年が、天基元年であり、今年が天基2年であります。

 今日の題目は「“時”と信仰」ですから、そういった意味合いで、「天基」を考えてみたいと思います。私たちが一般的に使う年代表記に西暦があります。日本では、元号の表記もなされるが世界的に見て一番用いられることが多いのはこの西暦での表記であり、日本史や世界史でもこの西暦で学んできました。

 この西暦の基準となっているのは皆さんもよくご存じのように、イエス・キリストであり、B.C.はBefore Christの意味であり、イエス様以前のことを指します。A.D.は、Anno Domini、ラテン語で(主、キリストの年)という意味で、イエス様以降のことを表わすのだそうです。つまり世界的にイエス・キリストが年代を計る中心となっているということです。

 普通の一般の人にとってこのB.C.とA.D.の違いは一体何を表わしているのでしょうか?復活論的に表現すれば、このB.C.とA.D.の違いは旧約時代と新約時代の違いであるといえます。

 それではどういう違いがあるかというと、旧約時代はユダヤ教を中心とした摂理であって、律法を中心とした行いを義とするという行儀の時代であり、しかしイエス・キリストが来られてからはどうかというと、イエス・キリストを救い主と信じる、それを信じることによって義とされる、信義の時代だといわれています。そしてこの信仰を立てることによって何が違うのかというと、受ける救いの恩恵が格段に違うということを私たちは復活論で学びました。

 行儀の信仰を立てることによってどこまで救われるかというと、霊形体の霊人体を完成した人が行くところの霊形体級の霊界です。旧約以前の人たち例えば、アブラハム以前の人たちは、この霊形体級霊界までもいけなかったということです。
 イエス様以前の人たちは、たとえどんなに素晴らしい、義人、聖人であったとしても、また一生懸命に頑張ったとしても、それ以上の霊界には行けなかったということです。

 ではイエス様を迎えて新約の時代になったらどうなったでしょうか。信義の信仰を立てて生命体級霊人体を完成し、生命体級霊界に行くことができるようになったのです。別の言葉で言えば楽園まで行くことができるようになりました。

 そして、神様と人間との関係において、見てみると、旧約時代は私たちは、僕であり、神様に対しては、「主よ、主よ。」と言っていました。神様と人間は主人と僕という関係でした。新約時代に入り、イエス様を、迎えたということで、一様に、神様の前に信仰を立てれば、神の前に養子であるとはいえ、子女の身分を与えられました。

 神様と人間との関係は親と子供の関係となりました。一つの家庭の中で僕と子女ではどれほど待遇が違っているでしょうか。比較にならないほど待遇が違います。イエス様以前かイエス様以降かで、私たちと神様との関係も全然違っていたし、この受ける恩恵もまったく違っていますし、行く霊界も全然変わってしまうということなのです。

今日、私たちは、成約時代を迎えて、B.C.とA.D.に大きな違いがあるそれ以上に天基が始まる前と天基が終わってからは大きく違うのであって、そのことを感じながら歩んでいるかどうか、果たして、今の摂理の空気をよく理解して歩んでいるのかどうか、5年前、10年前の信仰観と同じであってはならないと思います。

 私たちの信仰観も変わらなければなりません。天基を中心として見ると、その中心は、再臨主、天地人真のご父母様であります。メシアという方は、何の基盤の上に立つ方かというと、その方は国家の基盤の上に立つ方である。もしメシアが国家基盤のもとに立つことができたならば、復帰摂理はどれほど簡単だったでしょうか。

 神側が個人の勝利を収めていた時には、サタン側はすでに家庭的な基盤を持っていたし、神側が家庭的な基盤を持っていた時は、サタン側はすでに民族的な基盤を持っていました。神側がやっと民族的な基盤を持ってきたときにサタン側はすでに国家的な基盤を持っていました。そのようにしていつもサタンは、先行していました。 
サタンは国家という主権を通して、様々な業を成してきましたので、神側もメシアを守るためには、どうしても国家基盤が必要とされていました。

 したがってメシアがこの地に降臨されるということは必然的に、神側も国家基盤を立てられなければならないということで、復帰摂理上、考えてみれば、国家の基盤のないメシアはあり得ないという話です。実際、真のご父母様が、メシアとして立っていく時は、第二次世界大戦が終了したときでありました。1945年8月15日、韓国は光復節を迎え、日本は敗戦を迎えました。その時こそ復帰摂理の観点から見てみると、千載一遇のチャンスの時でありました。

 真のお父様は、韓国とイギリスとアメリカというこの三カ国の国家的基盤の上に立ちながら世界の摂理を進めて行くというのが願いでありました。しかし残念ながら、皆さんもご存じのように、1946年9月18日、キリスト教の世界的基盤が音を立てて崩れ去ることによって、まったく基盤がない状態となってしまいました。

 お父様は蕩減の道を行かなければならなくなってしまいました。それ以降お父様の歩んでこられた道は、いつも死と隣り合わせの道ということになってしまいました。神側が国家基盤を失ってしまい、サタン側からありとあらゆる迫害と試練を受けるようになってしまいました。それが今日に至るまでのお父様の道でありました。

 今日、お父様が、メシアが、91歳を迎えられて、死なないで、生きてこうして立って下さっているということは実に奇跡中の奇跡だと思います。神側の基盤を失い、極めて厳しい闘いでありましたがその闘いのすべてに勝利してくださいました。

 そして天基を宣言されました。天基前と天基後の違いを言葉として見るとそれは条件摂理と実体的摂理の時代にわかれると思います。お父様は、なんの基盤もないところから、精誠を尽くされ、勝利を積み重ねてこられましたが、それはすべて条件摂理の時代であったと思われます。縦横八段階の蕩減路程のすべてを勝利されて、そして昨年「天地人真の父母定着実体み言宣布大会」を成して下さいました。 

 これにより、真のご父母様は勝利された立場に立たれ、生きた神様となられました。よく、夜の神様、昼の神様と表現されますが、夜の神様、目に見えない神様は無形の神様を、昼の神様、目に見える神様は真のご父母様を表わすのだと言われます。それまでの条件摂理が終わり、実体摂理が出発したという歴史上大きな転換がありました。

 私たちの信仰生活にとってみても、天基が出発したということは私たちを取り巻く環境が大きく変わったということを私たちがよく悟らなければならないということです。

 例えば、今回お父様が韓国で一万人大会をされて、そしてヨーロッパに向かって行かれます。最初はスペイン、イタリア、ノルウェー、ギリシャ、トルコ、イギリス、スイスそして5月19日にアメリカに戻られるというように聞いております。短い間での巡回で、これはご父母様にとってみても簡単なことではありませんが、最後の巡回だと決意して出発されたということも聞いています。

 実体的に勝利された真のご父母様でありますから、すでに、万王の王という立場で出発されたということは、迎える国はその国の元首が迎えるべきではないかと思います。一国の元首が他国を訪問する時に、空港でレッドカーペットを敷いてお迎えするという光景はその国に迎えてお守りするという象徴であり、今回の巡回はそのような巡回であると思います。

 メシアを迎える基台というのは、私たちが自らの責任において立てるべきであって、今、そのような時代が来たということです。これまでは、条件摂理でありましたから、ある意味では、曖昧であっても許されてきたかもしれませんが、これからは、真のご父母様が天基を宣布されたからには、曖昧では許されずすべてがクリアにされなければならないということですから、救いの恩恵を受けると同時に審判を受ける時になるということです。

私たちは、新しい出発をしなければなりません。私たち、私たちの家庭、国も、世界も新しくされなければなりません。すべてが再創造される時を私たちは迎えたということです。

 今回、日本において、3月11日の東日本大震災を経験して、これから、毎年3月11日を迎えることで語られていくことでしょう。思い起こすことでしょう。現時点で約2万7千名が死亡、あるいは行方不明となり、三陸地方は津波にのまれ、瓦礫の山となりました。

第二次世界大戦が終わった時はどうだったでしょうか。電気が通じていたでしょうか。この東京も一面焼け野原でした。そういうところから日本の戦後は始まりました。しかしその時がまさしく、真の父母を迎える時でありました。真の父母を迎えてすべての時が新しくされる時でした。それがこの摂理の向かう方向であったことを私たちは知りました。

 三陸地方のあの光景はまさしく、第二次世界大戦が終わった時のこの東京の姿と同じ姿だと思います。これからは実体的摂理の時代であって、本当に時代が天基を迎える事によって大きく変わりました。ですから本当に昨年から、大きく世界が変わっています。

 韓国では北朝鮮による延坪島の攻撃があり、中近東でもチュニジアから始まる革命の嵐が吹き荒れました。本当に天基を迎えたということは、実体的に時代が変わったことであり、私たちが大きな変化にさらされているということなのです。今まで私たちは何も分からないままにご父母様についてきたような立場であると思います。

 今までの歩みと2013年1月13日と言われた、残されたこの2年わずかのこの期間が、今までの歩みと、同じであっていいというわけではありません。時代が変わりました。この時代の空気を賢く読み取っていかなければなりません。

 私や、私たちの家庭そしてこの国も、新しくされなければならず、天宙が、新しくなりなさい、新しくなりなさいと言って、私たちの新生のために動いていくというそのような時を迎えたのです。再臨の主がすべてを勝利され、実体の国家基盤の上に立つようになったと同時に、私たちも変わっていかなければなりません。

 私たちが、国を背負って立ってゆく天の勇士、烈女であるということをさらに意識していかなければならないということであると思います。これまで以上に国に対して関心を持って、国を私たちが担っていくという、その意識と具体的行動というものが求められているのではないかと思います。

 お父様をこの日本の地にお迎えする、本当にこの日本にお迎えしなければなりません。1992年にこの松濤本部に来て下さって以来、いまだにお父様をこの日本にお迎えすることができていません。お父様をお迎えする事によりこの日本の歴史が大きく変わっていくと思います。

 今、この南東京教区においては、夜、聖霊治癒祈祷会というものが行われています。チャンプモニムマンセーということは、他の言葉に置き換えるのならば、「ああ、再臨主よ、お父様、日本に来てください。」という叫びのように思われます。

 いま大事な摂理を進めていますが、お父様をこの日本にお迎えする尊い条件のように思われます。いよいよ私たちは国家を中心として物事を考えていくことが必要です。自叙伝もメシアを迎えるためには一千万冊が必要です。昨年百万冊を勝利しましたが、宋総会長様は一千万冊が必要とおっしゃられました。時代は変わりました。しかし、天基が始まったということは私たちがいまだ経験したことのない新しい時代が始まったということです。

 私たちの今後の歩みをどのように考えていったらいいのか、本当に神様が頼るのは誰でしょうか。それは私たちしかいません。私たちが立ち上がらなければなりません。今、私たちが叫ばなければなりません。本当に神様を証しし真のご父母様を証しして、本当にこの国が、この世界が、神様と真のご父母様に帰る事が出来るように、その責任を果たしてゆかなければならないのが私たちであります。私たちは決してそのように思って導かれてきたわけではないのですが。道のりはまだまだ遠いと感じますが、第一歩をふみださなければならないのです。

 これから、一人一人が活躍していく時代です。地域において、PTAの役員や、自治会の会長などどんどんやっていかなければなりません。本来ならもう復帰されていなければならないこの国ですが、復帰されるその時まで、多くのことを成さなければなりません。私たちが悔い改めながら、早く、2013年1月13日まで、もうタイムリミットは示されています。本当に私たちは賢く力強く悟って、前進することが望まれています。この1週間、神様とともに真のご父母様とともに頑張っていきたいと思います。

カテゴリー:今週の説教 - 11/04/30掲載
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