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説教(4月20日)

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■説教者:堀 正一 教区長

■御言訓読:天聖経(第3編 第3章 第3節)

11人間が神様に対して切ない心情で深刻に訴えても、神様を探し出すことができなかったのは、人間が堕落によって神様と父子関係が結ばれなかったからであり、天倫にかなう愛の関係が結ばれなかったからです。ですから、人間がこのような立場に落ちるようになった原因と内容を知らなければならず、サタンの真相をはっきりと明かして、本来の立場を回復しなければなりません。言葉によって結ばれる父子の関係、約束だけで結ばれる父子の関係は必要ありません。心を尽くし、力を尽くして父のみ旨のために生き、骨肉が溶け出す苦痛の中でも耐えて勝利するようになるとき、私たちは、神様と父子の関係を回復できるのです。

7イエス様がいつも心中で深く考えたこととは何かというと、「父と息子はいつも一つにならなければならない」ということでした。すなわち勝利的主体である神様を中心として、自分が地において主体的な立場で勝利的基盤を備えるためには、まず自分の心に神様を迎えなければならないという認識をもっていたのです。そのような立場でイエス様が自分のことを「神の宮である」と言った話が成立するのです。結局、勝利の基準とは、地で神様の実体となるイエス様を中心として、聖殿と同じ立場で一体になる基盤です。

 すなわち、勝利の基準を決定することを標準としなければ、復帰の完結や、あるいはその当時、イエス様の使命を終結させる方法がないというのです。このような観点から信仰の基準を立てて出発しなければ、いくら信仰生活を長くしたとしても、いくら困難な路程を経過したとしても、勝利の基準を備えた立場に立ったと言うことができません。ですから、一番大きな問題は、勝利の基準を、自分自体内でまず決定できるひと時をもたなければならないということであると結論を下せるのです。

18皆さんに必要なことは、祈りと精誠です。自分が自ら復活した位置に立ったのでしょうか。復活した位置に立てなかったとすれば、切実に求める位置に立ったでしょうか。信仰をもちながら、環境に責任をもち得る自らになったでしょうか。私たちは、そのようにはなっていません。

 ですから、祈りが重要です。祈りは、生死の基準を動かす能動性をもっています。そのような祈りを捧げるのは、大変なことです。「私」が見上げるほど高く、広い塔を積むとすれば、どれほど忙しいでしょうか。広くて高い塔を積もうとすれば、どれほど忙しいかというのです。それを五十年なら五十年の間に、すべて積み上げなければならないと誓ったとすれば、休む暇がないのです。

カテゴリー:今週の説教 - 14/04/23掲載
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