■題目:氏族メシヤ勝利
■説教者:和田康伸 教区長
■御言訓読:原理講論(P87L10)
霊人体の構成とその機能
このように、霊人体に感じられるすべての霊的な事実は、そのまま肉身に共鳴され、生理的現象として現れるので、人間はすべての霊的な事実を肉身の五官で感じて分かるようになる。
生霊体を完成した人間が地上天国を実現して生活したのち、肉身を脱いで霊人として行って生活する所が、すなわち天上天国である。それゆえに、地上天国が先に実現したのち、初めて天上天国も実現できるのである。
■説教内容
物事を正しく認識することは難しいことです。目に見えぬことに対する認識については、なおさら難しいです。例えば共産主義に対する認識について、20年前のことですが、共産主義はもう終わったのでこれからは徐々に平和な世界になっていくと思いました。
しかし、今では決して楽観できないと感じます。共産党と言えば中国が代表格ですが、その中国は軍事力に力を入れています。あと数年もすればアメリカに肩を並べると言われ、平和社会を脅かす存在になっています。そしてもう一方で恐れる存在として、文化共産主義というのがあります。これは目に見えぬ共産主義です。
文化共産主義というのは、武力の戦いは放棄したが、思想において共産主義的世界を作っていこうということです。そしてそのために努力し続けている人々がいます。
そしてジェンダーフリーに基づく男女共同参画、選択的夫婦別姓、こども手当て等もその思想が背景にあります。国が直接子供の面倒を見ようという思想です。そして、子供園構想は24時間いつでも子供を預けられる施設を目指しているようですが、預けられる子供にとってはそれが本当に良い環境なのでしょうか?
目に見えぬ文化共産主義の思想は家庭崩壊の思想です。我々にとって家庭こそ神様が地上に降り立つ基盤です。正しくこれらを見抜いて、闘うべきは闘っていかなければなりません。語り、行動しなければなりません。
待っていては、地上天国は出来ません。天一国創建の状況もはっきりとは目に見えません。果たしてその歩みが進んでいるのかどうか、しっかり認識する必要があります。
文鮮明先生は90歳を超えても限界を超えてみ旨のために精誠を尽くしていらっしゃいます。もっとも切実で深刻な心情を持っていらっしゃいます。私達も子女の立場で同じ心情で摂理を進めていかなければなりません。
原理講論の中には、地上天国が出来なければ天上天国は出来ないと書かれています。地上で天国を体験せずしては天上でも天国生活を体験できないと言うことです。地上天国を実現できる実感はありますか?まだまだやるべきことが多くあります。悲観はしませんが、楽観視は出来ません。今の時と使命を正しく認識すべきです。
先日、氏族メシヤ活動強化の指示がなされました。氏族を中心に知人友人を祝福まで導くと言う内容です。氏族メシヤの出発は人生の一番大きな転換期でしょう。私たち自身にメシヤという名前がつけられると言うことは考えもしなかったことでした。私が救世主?とたじろいだ思い出があります。
我々が今IDカードをつけるとしたら、「氏族メシヤ○○○○」とつけることになります。氏族メシヤの称号を与えられているのです。自覚はどうでしょうか。与えられた内容はあまりにも大きく尊いものです。私達が導かれてきた背景を考えれば、氏族的な功労、条件なくしては導かれないのです。間違いないのは氏族の代表者として導かれてこの場に居るということです。
アダムの家庭ではカインとアベルの兄弟間において、カインがいろいろな経験を積んでいたでしょうから、カインを中心として摂理を展開できていたならば、カインとアベルはもっと一体化しやすかったでしょう。
しかし、そうではありませんでした。サタンは長子であるカインを取りました。神様は次子であるアベルを取らざるを得ませんでした。神様はいつも清くて弱くて影響力の無い者を取らざるを得ませんでした。尻尾の者を取らざるを得なかったのです。
ヤコブもそうでした。その兄はエサウでした。エサウは小さい頃から毛深くヤコブはすべすべと言う際立った違いがありました。エサウは大人になって、巧みな狩猟者としてとても活動的に動いていたと思われます。ヤコブは穏やかで天幕に住んでいたと書かれています。仕事は何だったか書かれていません。
エサウはとても能力的に優れていたことでしょう。一方ヤコブはおとなしくて優しく、あまり活動的とは言えなかったのだと思います。親族に対する影響力もエサウが圧倒的に強かったのではないでしょうか。ヤコブが20年間の苦労の後にハランから帰って来るときにエサウは400人の親族を集めて待ちかまえていたほどです。
しかし神様は弱いヤコブを摂理の中心として定めたのです。神様は弱いものを取っていくしかなかったのです。しかし結果的にはヤコブはみごとに勝利しました。ヤコブはエサウを屈服させてメシヤを迎えるための基台を作りました。サタン屈服の典型路程として、その後モーセもイエス様もその路程を見本としました。
私達も学ぶところが多いのです。ヤコブをよく研究しなければなりません。ヤコブが勝利できた1つ目の要因は、神が私と共にあると言う絶対的確信です。ヤコブはとても苦労しましたがべテルで神様と出会いました。私は必ずあなたと共に居てあなたを守ってあなたを生きてこの地に再び帰させる。その様に神様はおっしゃいました。
そこでヤコブはこれから得るすべての物の十分の一を神様にお捧げしますという約束をします。それが今日の私達の十分の一条の出発点となりました。ヤコブは寝る所も無いほど苦労しました。まさにハラン苦役だったのです。しかし神様との約束と神様が共にあるという絶対的な確信があったからこそヤコブは支えられて勝利できました。
皆さんが窮地に追い込まれたときに神様は必ず皆さんを守り導いてくださいます。その神様の手をしっかりと握りながら歩むことが信仰生活、氏族メシヤ活動に於いてとても重要です。
そしてヤコブの路程に学ぶ2つ目は、勝利に対する執念です。彼は決してあきらめず落胆しない人物でした。例え場面、場面で失敗したように見えたり、落胆するようなことがあったとしても、勝利を信じ続けたのです。執念を持ち続けたのです。これがサタンの一番嫌いな性格です。
ヤコブは天使と組み討ちをしました。相撲ならば大関と小学生が戦うような場面だったでしょう。普通ならヤコブはすぐに負けていたでしょう。ヤコブは天使に腰骨まで砕かれたのですから、もしも勝利の執念が無かったらギブアップしていたでしょう。しかしあきらめなかったので最後には勝利しました。強い決意を持って歩むことが必要です。
そして3つ目は彼の智恵深さに学びたいと思います。ヤコブはどうしたらエサウに殺されずに愛で屈服できるかを考えました。ヤコブはエサウに財物をすべて与えました。しかもその方法も工夫して複数回に分けて使いを送りました。
もし万が一の事を考えてエサウの恨みが解けなかった時の為に最も心情的に近いラケルと摂理的使命のあるヨセフを最後に置きました。そして前日に腰骨を砕かれたヤコブ自身は一番先頭に立って進んでいったのです。死を決意してエサウのもとに進んでいったのです。
結果的にエサウはヤコブを受け入れましたが、そこに至るまでにヤコブは良く考えて智恵をめぐらせて行動しました。最高の危機管理をしていたのです。特に皆さんが弱い立場に立っていると感じるならばヤコブの路程を手本として学ばなければなりません。そしてヤコブに学んで摂理を進めていかなければなりません。
神が共に居てくださるという確信、勝利に対する執念、知恵を持って事を進めていく事が重要です。今日我々は文鮮明先生ご夫妻の大きな勝利圏の中に抱かれては、いますがその闘いを進めていく上ではヤコブに学んでいくことが必要です。
最後のD-Dayを迎えるにあたり、楽観することなく、悲観しすぎることなく、神様が見つめる観点から摂理を捉え、私達の責任をしっかり果たして喜びと希望の中で天一国創建を迎えましょう。