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説教(10月2日)

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■題目:摂理と私

■説教者:和田康伸 教区長

■御言訓読:摂理と昔今の私(み旨と世界・P805)

きょうの題目は、「摂理と昔今の私」です。この「摂理」とは、何でしょうか。神を中心としてつづられるすべての出来事をいうのです。あなた方は、「自分の摂理はうまく進んでいる」という言葉を使いますか。
果たして私たち人間が、そのように言うことができるでしょうか。

「神の摂理はうまく進んでいる」という言葉ならば、納得がいきます。摂理とは常に神を中心にしてつづられる歴史です。歴史や文化も神の摂理によるものであり、神の摂理による文化、神の摂理による歴史なのです。

そのような観点から見れば、人間にも、神の摂理によって立てられた人間、つまり摂理上の人間がいる、ということができます。この摂理上の人間とは、国家、世界、人類を代表する人間のことです。神の摂理による歴史、神の摂理による文化、そのような過去と現在の(世界の)所産として、私が存在しているのです。

■説教内容

 日本統一教会創立52周年の記念日です。おめでとうございます。
早稲田通りの雄鶏舎(ユウケイシャ)という時計屋の2階の部屋で宣教師の先生を中心としてわずか数名の食口で夕拝が行われたのが1959年10月2日、この日が統一教会の創立記念日となりました。

その時に「神の義と国のために生きる」という題目をもって説教して下さいました。それから数えて今年で52回目、52周年です。歩んできた道程は決して簡単なものではありませんでしたが、神様に導かれ、また御父母樣に導かれ、そして多くの食口の方達のご苦労と精誠をもって今日に至るまで教会がその歴史を続ける事ができた事を感謝したいと思います。

 今日は「摂理と私」という題目で説教させて頂きます。御言訓読の中にもありましたが、摂理という言葉は基本的に摂理の主体は神様である、もしくは自然という風に考えています。私達が人間世界に、私の摂理とかあなたの摂理という風に使いません。神様の摂理という言葉を使いますし、もしくは一般的には自然の摂理という言葉で用いられています。

いずれにしても人間の努力とか、人間の力では及ばない大きな力を持ったもの、これが摂理と考える事ができるのではないでしょうか。今年は自然災害が起こっております。3月11日には東日本大震災がありました。大きな地震と津波で2万人に及ぶ方が犠牲となりました。記憶に新しい所です。

そして先月は二つの台風が襲いまして犠牲者がたくさんいます。東京も直撃されまして、夕刻激しい風と雨が吹き荒れました。この近辺でも街路樹が倒れたり、木の枝が折れたり、電車もストップした所もあり、家に帰れず教会で宿泊した食口もいます。私達の命を育む、私達の生活の基盤となっている自然ですが、一旦自然が牙をむくと大変恐ろしい事になると痛感しています。また、自然を含めてこの宇宙が、天宙が神様によって創造されたという事を考えれば、なんと神様は偉大な力をお持ちの方かと思わざるを得ません。

先日の新聞では光よりも速く走るニュートリノが観測された記事が掲載されていました。スイスからイタリアに向かってニュートリノを飛ばしたところ、光よりも速く到達しているらしいです。光のスピードというのは、お父様も何度か語られていますが、1秒間に地球を7周半するという事です。それより10億分の6秒速く到達されたのが観測されました。

随分観測技術が発展して進歩してきたと思いますが、進歩すればするほど分からない世界が出てくるだろうと思います。この宇宙を創造された神様はどれぐらい知恵深い方でしょうか。私達の知らない事がまだまだあると思います。神様、自然というものは私達の努力や力では動かない大きな力があるのであり、その神様がなさるところの摂理、また自然の摂理というものの中で私達が生きているという事は間違いない事実であります。

今日は摂理について少し考えてみたいと思います。皆さんの中には摂理と聞くと顔をしかめる方がいるかもしれません。神の愛や恩恵と聞くとうれしいけど、摂理や責任と聞くとちょっと心が暗くなる方もいるかもしれません。しかし訓読の中にありましたが、もし神様の摂理がなかったならどうだったのだろうかと考えてみたらどうでしょうか。

日本に対する神様の摂理、真の御父母樣を中心とした天の摂理がなかったら、はたして私達は復帰されていたでしょうか?皆さんはこの場に立たれていたのでしょうか?摂理がなかったなら今の私たちがこうして信仰生活をしている事があったでしょうか?ひょっとしたらなかったかもしれないと思います。

宋総会長のお話しの中に、日本が第二次世界大戦で敗北して、本当は日本は四分割か五分割される予定だったという事でした。しかし、日本が摂理的に守られて分割されませんでした。もし神様が日本を摂理国家として立てる予定がなかったなら、真の御父母様が決意して下さらなかったら今の日本そのものがなかったかもしれません。

そういう立場で日本の戦後の歴史が出発していたならおそらく私達が今日復帰されて信仰を持つという事はなかったのではないでしょうか。私達は摂理の故に導かれていた、摂理の故にこうして守られて今この場に立っているのだと考えたら本当にありがたい事です。

先日ある姉妹が訪ねてきました。今は宣教団でハワイで活動してきて11月にはラスベガスに行くと言っていました。ハワイの教会の雰囲気を聞くと、「ボーっとしています」という返事でした。日本と比べるとそう感じるそうです。気候が生活に影響を及ぼす事が大きいと思います。
伝道は一日のうち3時間だけで、その他は英語の勉強やケアーをしているとの事です。日本は違います。いつも摂理に追われながら歩んでいます。目標があり、実績をたてながら走っています。

聖書を見た時に、神様はみ言をもってこの被造世界を造られたと書かれています。数理性をもって創造されているという事が分かります。数字というものは神様の摂理にとってとても大切なものであります。お父様も数字にこだわって歩んでいらっしゃいます。私達の教会では数字が神様の啓示でもあり、皆さんの信仰生活も数字がしっかりと定められていなければなりません。しっかり定めないと曖昧になってしまいます。

今年何人伝道するとか、頑張りたい時には具体的に数字を定める事が重要です。自分がどうであるかは数字を通して判断する事ができます。今年3分の2過ぎて何人伝道できているのか、数字が自分の信仰生活、自分の実態を教えてくれます。

目標をはっきりと持って、数字をはっきりさせる事、その目標に対して自分はどこまでやれたのかという数字をいつも意識しながら歩むのが重要であります。数字のない信仰生活は怠慢な信仰生活ではないでしょうか。数字を通して神様の声を聞くのが重要です。数字に対して無頓着であってはなりません。

いつも数字を意識する事が神様と私の関係を保つ秘訣でもあります。数字を通して神様を身近に感じるのが摂理です。日本はいつも摂理があり、数字が明確化され、私達にとって恵みであります。
ひとつひとつの摂理に意味があります。お父様の与えて下さった圓母平愛という言葉にどれだけ祈り、精誠を込めてきたのでしょうか。

天暦の8月15日(陽暦では先月12日)には巨文島の海洋天正宮の奉献式がありました。
勝利されたお母様と日本が一つになってお父様をお支えし、神様に喜びを返していく意味合いが込められています。2000年前に救世主として来られたイエス様は残念ながら33歳で十字架で亡くなられました。

イエス様が相対を立てることが出来なかったからです。そして今日再臨主として来られたお父様は、真のお母様を立てて今日に至るまで勝利の道を歩んで来られました。お父様の今日に至るまでの路程は真のお母様を立てて完全な人類の父母として勝利するための道であったという事です。

圓母平愛は勝利されたお母様と日本の国が完全に一つとなり勝利圏を相続する、そしてお父様をお支えし、神様を喜ばせるという意味合いが込められています。

圓母平愛の摂理を意識しているかいないかに係わらず、日本の摂理が展開してきています。日本の国は人格がありませんので、勝利されたお母様と日本の統一食口が一つになっていく期間であります。大きな全体の課題の下で家庭においても越えていく期間であると思います。摂理は全て意味があります。

私が気付いているかいないかは別としてです。お母様と心情一つとなっていく時に、私達の家庭の問題も、教会の問題も、国の課題も越えていくことができます。神様とご父母様は今日までこうして日本を導いてくださり、私達の家庭、私までも導いて下さっているのです。

神様は必要な事は全て成して下さっています。摂理を通して与えて下さっています。摂理は神様の私達に対する問いかけです。摂理は神様の声であることをよく理解し、摂理と共に歩む事が重要であります。私の心を向けて摂理と共に斗っていくという姿勢が必要であります。摂理の中で導かれ、育まれ、守られてきました。どれだけ摂理の恩恵に預かってきたでしょうか。よく考えて下さい。

天一国創建に向かっていますが、韓半島が未だ分断されています。38度線が残っていれば創建できません。撤廃し、一つの民族一つの国家となった基台の上に、そこに天の主権が立てられるのです。天一国創建のために皆さんは何が出来るでしょうか。

まだまだ道程は遠いです。現実的には市民権もありません。この現状の中で皆さんは何をどうしますか。人間的になれば落ち込みます。それでも神様は私の全てを知り、私を立てて下さって、世界を救おうとしています。どうやって闘うのか、摂理と共に闘うのです。摂理は大きな力があります。摂理は破壊するためにあるのではなく、創造のためにあるのです。神の摂理が日本を通りすぎたなら、どれだけ多くの創造が出来るでしょうか。私の力は乏しくても摂理と共に闘うなら大きな力となるのです。

摂理的伝道をしましょう。私が大きな事が出来なくても、私の復帰した人が大きなものを持っているかもしれません。摂理の大きな力が、個人的に頑張っても難しい人を伝道できるかもしれません。摂理の中にその人を巻き込んであげる事で大きく飛躍し成長するのです。

いつも摂理の中心に位置しながら、摂理と共に歩む事によって難しい事もできる奇跡を起こす事ができます。不可能も可能にします。摂理の意味合いを問いながら、摂理と共に歩むのが信仰生活に重要です。天一国創建に向けて力強く歩んで行く事が出来る私達となりましょう。

カテゴリー:今週の説教 - 11/10/06掲載
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