レイアウト調整
page_footbar

HOME » 今週の説教 » 説教(8月7日)

説教(8月7日)

■題目:神の道を行く人

■説教:柴沼邦彦 モナコ国家メシヤ

■御言訓読:平和を愛する世界人として(P66~P67)

 神の道を行く人は、常に全力で事に当たり、心を尽くして、その目的地に向かっていかなければなりません。この道には執念が必要です。生来、頑固一徹な私は、元から執念の塊です。生まれつきの性質そのままに、苦難にぶつかっても執念で克服して、私に与えられた道を進んできました。

 試練に遭って翻弄されるたびに私を深いところで支えてくれたのは、「神様から直接、み言を聞いた」という厳粛な事実でした。しかし、一度しかない青春をかけてその道を選ぶことが、たやすいことだったでしょうか。逃げたい気持ちになったこともあります。

 知恵のある人は、どんなに困難でも、未来への希望を抱いて黙々と歩いていきますが、愚かな人は、目の前の幸福のために未来を無駄に投げ捨ててしまいます。私も若い盛りには愚かな考えに染まったこともありましたが、結局は、知恵ある人が行く道を選択しました。神が願う道を行くために、一つしかない命を喜んで捧げました。逃げようとしても逃げ場がなくて、私が行く道はただその道以外にありませんでした。

 ところで、神はなぜ私を呼ばれたのでしょうか。九十歳(数え)になった今も、毎日、神がなぜ私を呼ばれたのかを考えます。この世の中の無数の人の中から、よりによってなぜ私を選ばれたのか。容貌が優れているとか、人格が素晴らしいとか、信念が強いとか、そういうことではありません。私は頑固一徹で、愚直で、つまらない少年にすぎませんでした。

 私に取り柄があつたとすれば、神を切に求める心、神に向かう切ない愛がそれだったと言えます。いつ、いかなる場所でも最も大切なものは愛です。神は、愛の心を持って生き、苦難にぶつかつても愛の刀で苦悩を断ち切れる人を求めて、私を呼ばれたのです。私は何も自慢できるものがない田舎の少年でした。この年になっても、私はただひたすら神の愛だけに命を捧げて生きる愚直な男です。

■説教内容

国家メシヤの歩みも12年が経ちました。本日はその歩みを皆様にお話したいと思います。
南米のレダ開発は日本を救う為に1999年9月、お父様の指示で始まりました。そのレダ開発は、元々はパラグアイのオリンポで40修があった時、その修練会が終わった後にお父様からこのまま残るように言われたのが始まりでした。

最初は戸惑いもありましたが、死んだと思えば日本には帰ることが出来ないんだ。と言われるお父様の言葉で覚悟が出来ました。地球の裏側で行うことは表面的に見れば日本とかかわりの無い事の様に思えますが、日本を救う為の摂理として古い先輩家庭が派遣されました。オリンポでの国家メシヤの修練会以降、12年が経ちましたが、その間に昇華された方が5人いらっしゃいます。

お父様の自叙伝の中には熱帯地方の開発に関する内容が書かれています。3年以上の間、自ら釣りの条件を立てられながらパラグアイに入っていくことの難しさを超えて行かれました。釣りをしていると言っても、川の水面に強烈な直射日光の反射する環境では、その光で顔がただれるほど過酷なものです。

お母様が南米の摂理の出発の前にお祈りをされました。パンタナール、レダ開発は、日本が神の前に立つという条件、摂理的な失敗の蕩減の意味がありました。韓国の反対側の地であり、神の国の保護地の意味がありました。

一番困難な土地の開発には食糧問題を解決するという意味もありました。そして豊かな自然環境で趣味産業、環境問題解決、発展途上国の支援モデルとする意味もありました。パラグアイには、世界最大の湿地帯パンタナールがあります。そこは自然の宝庫であり、地形は韓国の国土の形に似ています。パラグアイ川の東側は豊かで人も多く住んでいます、反対の西側は貧しく人はあまり住んでいません。

また、パンタナールには、数多くの動物が住んでいます。カピバラや、アナコンダ、ジャグア、ワニなど本当に多数の動物が居ます。そして、川にはピラニアも居ます。食用になる魚もたくさん居ますので、現地の住民にとっては、それらは食料としての対象です。ですから原住民のインディアンの食生活を改善する事は環境や自然の保護に繋がるのです。

パンタナールの開発の基点であるレダ基地はもっとも難しい所です。過去にもそこで放牧を試みた人が居たのですが、環境が困難で継続することが出来ずに廃屋になり、長い間捨てられてきたような土地でした。お父様はわざわざそこを買われたのです。そして国家メシヤに再度開発を命じられました。しかもその開発は機械の力ではなく、まず人力で行うように言われました。始めに先遣隊として5名の先輩家庭がまずそこに入っていきました。

お父様は、そこで天下一の労働者となりなさいとおっしゃいました。その言葉通り、12年の間ほぼ継続して開拓を続けていらっしゃる方も居られます。そこでは蚊も異常なほどに多く、普段の生活にも困難を生じます。そこで、蚊難(カナン)の地だと言っています(笑)
又、毒蛇も多く、注意が必要ですが、12年間で噛まれた人は一人も居ません。自然と共に生活すると本当に神が近くなるのです。

そのような生活を送る私達にお父様が会いに来てくださったことがありました。我々の顔を見てお父様は、『皆ご苦労様、真っ黒になっているね。インディアンと一緒になった。』とおっしゃりながら笑顔で大変喜ばれました。その時ほどリラックスしたお姿のお父様を見たことが無いほどでした。

そこでは土壌の改良の為に植林を行っています、その場所に合った木を植えると、やせた土壌が改善されていきます。木を植えれば、そこに鳥が集まり、糞をするのでミミズも集まってきて土地が肥えてきます。

ニームの木はやせた土地でも育ち、害虫が付きません。その性質を利用して葉っぱを害虫駆除に使えるようにしています。そして、モリンガの木はとても栄養豊富なのでその葉っぱを使えば飢餓の子供達を救うことが出来ます。様々な食物の栽培にもチャレンジしています。最近ではマンゴーも作れるようになりました。元々マンゴーなど無かった土地ですから、最初は鳥もその実には関心がありませんでしたが、慣れて来るとちょうど実が熟す頃には鳥が皆食べてしまうようになってしまいました(笑)。

そしてなんと水田を作って、米の栽培にも成功しました。実験農場なのです。しかし食物をたくさん作っても、近くには人がほとんど住んでいませんから、売ることもできず、お金にはなりません。いまのところ、牛以外にはお金にならないのです。

そんな中でお父様が大変関心を持っておられる養殖にも取り組んでいます。大学から魚の稚魚を買ってきて、大学とも連携して実際に養殖の実験をしています。その魚の写った写真にサインまでしてくださいました。お父様は、これが、私がやりたかった事だと大変喜んでくださいました。

生活面では、毎日4時30分の訓読の伝統を立てて行きました。また、1年2ヶ月をかけてお父様の公館を建設しました。公館の奉献式は2000年11月30日に行いましたが、その時に飛行機で上空から建物をご覧になっていたお父様が、パイロットに命じられて急きょ降りてこられました。本当に記憶に残る出来事でした。

開拓をして行くにあたり、最初は原住民のインディアンの人々も変な人たちだと見ていましたが、徐々に我々に対する見方が変わってきました。その周辺は治安の面で危険な場所なので、武器を持った犯罪者から襲われる可能性もありました。

知恵を働かせて、そこに海軍の駐在所を自前で作ることにしました。そして交渉して海軍の駐在員を派遣してもらうことが出来ました。更に、新たに警察の駐在所も作って、警察官にも駐在してもらうことができました。元々は危険な場所が、逆にその周辺では最も安全な場所になったのです。

お父様は、行くところには必ず教育センターを作る方針を立てられますので、我々も、200名が入れる教育センターを立てました。常に正しい伝統を立てるのです。しかし開拓をしていくのに、経済的支援は一切ありません。支援を頂くのでは蕩減になりませんから。

奉仕活動は継続が重要です。これまでにも日本や他国からの援助で送られた物があるのですが、現地の人々にはそれを維持する力がありません。例えば、過去に現地に贈られたボートにしても、壊れたらそのままで誰も修理しようとしませんから、無残な残骸となって放置されているのを目にします。

一回のみの援助は無駄になってしまうのです。しかし我々の活動は継続しています。教育面に於いても12年間の援助によって現地の子供達に教育が浸透してきました。道徳性も学力も確実に向上してきています。最近は町から800キロメートルも離れた人のほとんど居ないこの場所に携帯電話の鉄塔が建てられました。

携帯電話会社としては利益にはなりませんが、どんな場所でも通じると言う宣伝になっているようです。我々はそのおかげで日本とも携帯で話しができるようになりました。電気も通じるようになりました。それまでは自家発電を行っていたのですがとてもコストがかかり大変でした。

この活動は、小さくても継続して行っているので、地元の人たちからも良い評判が出ています。政府は何もしてくれなかったが、レバレント・ムーンの団体の人々はいろいろなことをしてくれているという話が広まってきています。この場所で式典があると政府の役人も参席して祝辞を述べるほどになりました。実際に開拓を続けている方々は肉体的には本当に大変です。

ずいぶん年を重ねておられるので、上がらない足を引き摺りながらも頑張っている方もいらっしゃいます。お父様はこの活動は今まで通りやるようにと言われています。神様から言われてノアは120年間同じ心情で歩んで歴史に名を残す人物となりました。我々もお父様の願いに自分の生涯をかけて歩んでいます。最近レダの地が、川の水の氾濫で浸水しています。これまでにない試練にあっています。

しかしそれでも開発を進めています。青年たちがレダに奉仕に行くと、限界を超えて歩んでいる先輩家庭に会います。そしてその歩む姿を見て何故そこまでやるのかと信仰の原点を知りたくなります。真剣になるのです。そして、奉仕活動が終了した後の歩みに大きな変化をもたらします。更にみ旨の中心で歩む青年が出てくるのです。

お父様の自叙伝の中に『私に取り柄があったとすれば、神を切に求める心、神に向かう切ない愛がそれだったと言えます。』と言う一節がありますが、たとえ能力に差があったとしてもこれからもずっとお父様と共に歩んでいきましょう。

カテゴリー:今週の説教 - 11/08/10掲載
page_footbar
下の影