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説教(7月3日)

■題目:悔い改めは、信仰生活の要

■説教:和田康伸 教区長

■御言訓読:「み旨と世界」

創立以前の内的教会史
・出会いは興亡の接点

先生と出会うということは実に難しいことです。その出会いにおいて誤れば大変なことになるからです。先生が直接伝道していた人々の中にも、正しく出会わなかったがゆえに、自らを滅ぼしていった人々がたくさんいました。

過去の歴史においても、主に正しく出会わなかった個人、家庭、氏族、国家は、最後には十字架に追われ滅亡していった事実を多く見ることができます。先生は最も重要な人物でありますが、それと同時にもし正しく出会わなければ最も難しい人物です。

アメリカにとっても、もしあなた方アメリカ人が先生に正しく出会わないとすれば、先生があなた方の十字架になるかもしれません。世界もまた例外ではなく、正しく出会わなければ滅びていくほかありません。

谷底へと転げゆく汽車のごとくに、下り坂をまっしぐらに駆け下りてきて、今にも谷底に転落せんとしていた人類史でしたが、先生はその滅びゆく個人、家庭、国家、世界と出会って、その滅亡を止めるために来たのです。

神のみ業は、常に最も衝撃的革命的な逆転の業ですが、統一教会のなせることも正にそれでした。そしてあなた方は今、そういう運動に参加しているわけですが、歴史の重荷を自分のものとして担い、下向する歴史の方向を逆転せしめる原動力となるのは自分たちだと考え、それだけではなく実際に自分の肩にその重みを「重い」と感じている者でない限り、参加しているつもりでも、見物人にすぎません。

■説教内容

2000年前にイエス様が来られた時、洗礼ヨハネは『悔い改めよ、天国は近づいた』と語りました。

イエス様は残念ながら天国を完成することが出来ませんでした。しかし今の時代は真の御父母様が天国実現の道を開いてくださいました。あとは私達次第です。

起源節まであと599日となりました。そのことを皆さんはどのように感じますか。時が一日一日過ぎ去っていきます。神の国創建を目前に控えて歩んでいます。そこで洗礼ヨハネの言葉をもう一度思って歩んで行きましょう。

私達は霊的に見れば、氏族メシヤと書かれているIDカードを首から提げています。霊界の人々からはそれがよく見えるはずです。その方々は我々に協助しようと思っているでしょう。

私達は今、悔い改めが必要です。氏族メシヤとしての歩みを悔い改めて残りの599日を歩む必要があります。通常は、悔い改めると言ってもそう深い意味で悔い改めることは難しいと思いますが、今は本当に深く悔い改める時です。

氏族メシヤの摂理が出発してからもう長くなります。いよいよ599日を残し、氏族メシヤの立場を明確にしましょう。
悔い改めというと聖書の中のペテロのことを思い出しますが、使徒行伝の中のペテロと、福音書の中のペテロとでは異なった姿で書かれています。イエス様が生きている時のペテロは幼い弟子の姿で書かれています。

そして、結局ペテロはイエス様を十字架に送ってしまいました。イエス様が最後の晩餐で語られた言葉は遺言のごとくでした。それは人類に残すものでした。イエス様は弟子たちの足を丁寧に洗いました。

弟子たちの足を丁寧に洗うことによってもう一度神様の愛を伝えようとされました。そのことを弟子たちはよく分かっていませんでしたが、イエス様は、私がするようにあなた達もこれから来る人々に良くしてあげるよう言われたのです。

その当時のペテロは、主よ、足だけでなく頭も洗ってくださいと言ったほど幼い信仰の持ち主でした。

しかし、イエス様が亡くなってからのペテロは一変します。すばらしい信仰の持ち主になって行きました。群衆の中でペテロは10人の弟子と共にイエス様の十字架の救いについての説教を始めました。1日で3000人が基督教に改宗したと言われます。

バチカンにはサンピエトロ大聖堂があります。それは、ペテロの墓があった場所に建てられた聖堂です。今では世界中から尊敬される立場のペテロなのです。

このペテロはどのようにして生まれ変わったのでしょうか。聖書には書かれていませんが、深く悔い改めたのでしょう。ペテロほどイエス様からたくさん愛された実感を持っていた人は居ないでしょう。

にもかかわらず、イエス様と運命を共に出来なかったことを深く悔い改めたのでしょう。ペテロはイエス様が周囲から嘲笑、罵倒され、殴られ、蹴られている姿を見ているだけで何も出来ず、あの人を知らないと3度も否定しました。イエス様の十字架の時には、イエス様に世話になり、イエス様のことを知る人達もその光景を見ていたでしょうが、何も出来ずにただ見ているだけだったと思います。

しかしその心には良心の呵責を感じていたに違いありません、その際たる人がまさしくペテロだったでしょう。イエス様が復活した後、海で漁をしていたペテロ達に対して復活されたイエス様が声をかけられましたが、ペテロは一人だけ海に飛び込んだと記述されています。

なぜかは書いてありませんが、ペテロはイエス様の愛に応えることが出来なかったことにいたたまれなくなって飛び込んだのだと思われます。そしてペテロは悔い改めていったのでしょう。イエス様の教えに生きようと決心したのでしょう。

その後も信念を貫いて天の願いに生きたのだと思います。その道は困難で、本当に迫害の多い道だったでしょう、それでも信仰を貫いて最後は逆さ十字架にかけられてしまいました。今日、私達は神様の決意とみ意の中で氏族メシヤとして召命を受けた立場です。

私達はお父様とは使命の大きさが異なっていても同じメシヤの名を持っています。私達は霊界から見れば普通の人とは異なっていると考えなければなりません。氏族メシヤのIDカードを提げている私達は普通の人たちとは全く異なっています。神様から見ても、『私が立てた氏族メシヤがここに居る』と思います。

自分の意思を超えてこの場に立っている私達なのです。氏族メシヤは天命です。その摂理は20年が経ちましたが、どのような立場で今を迎えているでしょうか。実績無く迎えてしまっているのではないでしょうか。責任を全うできないとしたら敗北です。

今はまだ曖昧ですが、時が来れば成績発表されます。一日一日が深刻な毎日です。本当に足らないことが多く心が痛みます。そのままでは終えることが出来ません。お父様と同じメシヤの名を共有する私達は、もう一度奮起して歩んで行きましょう。私たちはペテロと同じ立場なのではないでしょうか。

私達は御父母様から多く愛されてきました。これからの人類は御父母様と共に生きた時間が無くとも、御父母様から愛されていることを感じていく様になるでしょう。

私達は今の時を御父母様と共に生きています。悔い改めて生まれ変わってもう一度決意して歩んでいく必要があります。新しい勝利の道が開かれていくに違いありません。

先週一週間歩んできて、御父母様と同じ荷を負っていると感じているでしょうか。重荷を共に負えることも光栄なことです。成約生徒の立場でもう一度使命を中心として悔い改めて、天一国の勇士烈女としての勝利をしてほしいと思います。

カテゴリー:今週の説教 - 11/07/07掲載
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