■題目:神を信じて前進しなさい
■説教:和田康伸 教区長
■御言訓読:創世記(第28章18節~22節)
ヤコブは朝はやく起きて、まくらとしていた石を取り、それを立てて柱とし、その頂に油を注いで、その所の名をベテルと名づけた。その町の名は初めはルズといった。
ヤコブは誓いを立てて言った、「神がわたしと共にいまし、わたしの行くこの道でわたしを守り、食べるパンと着る着物を賜い、安らかに父の家に帰らせてくださるなら、主をわたしの神といたしましょう。またわたしが柱に立てたこの石を神の家といたしましょう。そしてあなたがくださるすべての物の十分の一を、わたしは必ずあなたにささげます」。
■説教内容
一般人は宗教に良くないイメージを持つ人が多いです。信仰を持つと弱い人に思われることもあります。しかし信仰の道の本質は強くなければ全うすることが出来ないということなのです。
それは、サタンとの闘いの道のりです。闘いなので強いものが勝つことになります。強くなくてはならないのです。信仰者は勝利者でなければなりません。
真のお父様はすべての闘いに勝利してこられました。そして数々の勝利宣布をされました。サタン屈服の典型路程を私達に示してくださいました。
我々の教会でも勝利宣布と億万歳をよく行います。私達に大切なのは「いつの時も神様が私と共に居て下さる」という確信です。
アブラハムはもともとカルデヤのウルという町に住んでいました。それはチグリス・ユーフラテス地域であり、メソポタミヤ文明の中心都市でありました。当時と しては大変住みやすい所であったと考えられます。
しかし75才になっていたアブラハムに神様は、ウルを離れるように言われました。ウルでは友人や知人もたくさん居たでしょう。生活の基盤もあり、そこで成功もしていたでしょう。そんな中で神様のみ言を受け入れるのは決して簡単ではありませんでした。
しかも神様のみ言は「私の示す所に行きなさい。」というだけであり、行き先が明確に示されていなかっただろうと思われます。しかしアブラハムはひたすら神様を信じて行きました。
結果的にはその場所はカナンであり、かなりの距離がありました。神様を信じてそのごとく行動したアブラハムの信仰はすごい事です。
80才のモーセにおいても同じような事がありました。ある日シナイ山が燃えはじめ、その山火事が治まらないことが気になってシナイ山に行ったモーセは神様の召命を受けます。
シナイ山にたどり着いたモーセは「そこは聖なる場所なので靴を脱ぎなさい」という神様の言葉に驚きます。そしてエジプトに今すぐに行きなさいと神様から言われます。エジプトで虐げられているイスラエル民族を救い出すように神様から言われたのです。
もともとエジプトの宮中で40年間暮らしてきたモーセは、そこで暮らす200万人のイスラエル民族がどれだけ虐げられているのかをよく知っていました。その200万人のイスラエル民族をエジプトから導き救い出すのは誰が見ても困難なことでした。
そしてモーセはどもりであったと言われています。そのモーセが多くの民を導いていくことは困難だったでしょう。最初は神様のみ言を受け入れられず、何度も断りました。しかし神様はあきらめませんでした。ついにモーセは折れて神様の命に従いました。
聖書を見ると、神様の召命はいつも簡単ではなく、常識的に理解できない内容が多く載っています。ノアの時は箱舟を山の頂に造るように命じられました。これも常識的には理解できませんでした。アブラハムのイサク献祭の時は、神様が「あなたの子孫は星のように増えるだろう」と祝福されたにもかかわらず、子供であるイサクを献祭するように命じられたのですからそれも常識的には理解できないことでした。
私達が神様と共に行くのは簡単ではありません。真の父母様も先人達のごとく神様から様々な困難な啓示を受けてこられました。真の父母様の示される内容、平和大使任命、自叙伝配布、祝福、これらのことも人間的に判断してはならない内容です。
キリスト教が使命を全うできず、お父様が神様からプッシュされてきた道のりはどれほど困難な内容だったでしょうか。本当に焦りながら、休むことが出来ずにこられたでしょう。次々に峠を越えなさいとどれだけ神様から言われ続けておられるのか分かりません。お父様が日本をプッシュしておられるのは神様がお父様をプッシュしておられるからなのです。
絶対信仰・絶対愛・絶対服従が大切です。神のみ言をそのごとくに受け入れていく事が大切です。2013年1月13日までに多くのことをなしていかなければなりません。天一国創建に対してなすべきことがあります。いまその佳境に入っています。
ヤコブはベテルの地で休んだ時に天使を見て、神様が私と共に居られると確信しました。そして神様に誓って契約しました。神様と出会ってからのヤコブは見違えるように全く内的に強く変わっていました。
エサウから逃げてきた時のヤコブは自信も無く、おどおどとしていたのですが、神様と出会ってからのヤコブは堂々とふるまう様になりました。
それからの長い路程は、昼は暑く、夜は寒くてまともに眠ることも出来ない苦役の路程でしたが、よく耐えて家族と財物を引き連れて故郷に帰って来る事ができました。
故郷に帰ってきたと言っても最初エサウはヤコブを殺そうと待ち構えていました。しかしそこでもヤコブは神様を信じて知恵と勇気、信仰でエサウを屈服させることが出来ました。
この例えのように神が私と共に居てくださるという確信が大切なのです。私には何も無いが私を通して神様が共に働いてくださる、事を成してくださる。必ず神様は私を通して役事なさるという確信が大切です。
最後の時に私達の信仰をもう一度チェックしてみる必要があります。今まで神様が私達を訓練してきてくださいました。いよいよこれからが本番です。信仰はいつも現在進行形(be+~ing)でなければなりません。過去に何かをやったからもうよいのではありません。過去を語る必要はないのです。真の父母様は勝利されてもなお進み続けておられます。
この教会にも80才を超えて伝道前線を歩む実践部の教会員が居られます。私も頭が下がります。神様の声に耳を傾けてそのみ言を受け入れて前進し続けることが重要です
前進、留まる、後退の3つしかありませんが喜びも希望も前進から生まれます。今回のお父様の世界巡回は、復帰摂理の最終終決と完成を宣布するための巡回路程です。私達も氏族メシヤとして勝利すべき時を迎えました。私と共に働き、役事して、事を成したい神様をよく知って前進する一週間といたしましょう。